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ここで全く視点を変えて、私の研究テーマである「パブリック・ディプロマシー論」からジャカルタお掃除クラブについて考えてみたい。
従来、「外交」(ディプロマシー)が国家間の交渉や政府の対外政策を指すのに対して、「パブリック・ディプロマシー」とは、国家(政府)が海外の市民・世論に直接働きかけ、自ら奉じる政策、価値、制度、文化等を発信することを意味していた。しかし9.11以降米国が中東で展開した価値発信型プブリック・ディプロマシーの頓挫から、政府の「発信」のみに着目するパブリック・ディプロマシーへの疑問の声があがるようになった。
そして近年、このような21世紀以降の国際情勢を反映して、新しいパブリック・ディプロマシー論が語られるようになってきた。すなわち、政府のみならず、市民が海外の市民と直接対話・交流することによって双方向の関係を構築、対等な立場のネットワークを形成して、共通の公共益のために協働していく。そうした市民間ネットワークが国境、国籍、文化を超えて、より多層、より多様に形成されること自体が、国家の関係の安定材の役割を果たす。これが「新パブリック・ディプロマシー論」の要諦である。
「パブリック・ディプロマシー」と関連する概念として、よく論じられるのが、ジョゼフ・ナイの「ソフト・パワー」論だ。文化、価値、政策等の「ソフト・パワー源」から発せられる「魅力」によって、無理やりでなく、自国が望む結果を他国も望むようにする力が「ソフト・パワー」であるとナイは説いたのだが、ここでよく見落とされるのは、文化や価値の魅力は絶対的なものではなく、文脈次第であるとナイは断っていることだ。つまり、発信する側A国の政府や市民が「魅力」と感じるものが、受信する側B国の市民・世論にとって「魅力的」かどうかは、保証の限りではなく、あくまでも相対的なものなのだ。
「新パブリック・ディプロマシー論」では、「魅力」あるいは「ソフト・パワー源」よりも、市民と市民の間の関係性に着目する。多様で、多層な市民間ネットワークを張り巡らせることによって、時間をかけて互いに「魅力」と捉えることができる価値の共有化を図っていくことを重視するのだ。
このような「新パブリック・ディプロマシー」論の視点に立つと、ジャカルタお掃除クラブは一つの実践的モデルを提示しているように思える。
お掃除クラブの面々が汗をかきながらゴミを拾うことは単純な作業をしているのではなく、一つの理念、価値をめぐって、「ゴミを拾う側」と「それを見ている側」における対話が非言語的な手法を用いて試みられている。双方の関係は命令や脅威によるものでなく、対等だ。
そして「見ている側」がゴミを拾う行為に、価値、理念を見いださなければ対話は成り立たない。お掃除クラブへの共感が拡がっていること、そしてお掃除クラブの中心が在留邦人からインドネシアの若者へと移動しつつあることは、日本とインドネシアをつなぐ価値の共有化が進んでいることを示している。
ところで、東日本大震災という非常時においても被災者たちがゴミ分別を整然と行い、日本の小学校では当たり前のように小学生が授業終了後に清掃する姿は、世界に感銘を与えている。ジャカルタお掃除クラブの創設者たちも、日本社会に深く根付いた価値観、文化として清掃活動を紹介したいと考えたということから、同クラブの活動には、日本的価値に根差した日本文化紹介という側面があるとも言えるだろう。しかし、ここで考えられている「日本的価値」とは、閉鎖的、固定的な文化概念ではなく、インドネシアでも「インドネシア的価値」となりうる普遍的、開放的な概念なのであり、文化の共有、もしくは共通文化の創造といってよいかもしれない。
本通信の冒頭で、ポイ捨てをなんとも思わないジャカルタ市民の公共観念欠如に対するデワント代表の嘆きを引用したが、徒労感を振りきるように、彼はエッセイ「火焔樹」を続けている。
最後まで残って拾い続けるボランティアたちに言った。「ここで終わりにしよう」。すると「これじゃ帰れない。2日間を無駄にしたくない。最後みんなで一周しよう」という返事が返ってきた。
「ありがとう」以外の言葉は見つからなかった。最後は無駄な抵抗とわかりつつ、討死覚悟で戦いを仕掛ける戦国武将のような心境になった。
ごみの量には負けたが、人影もまばらになった会場で拾い続けるインドネシアの若者がいる。たとえ一握りでも、悪しき習慣を変えて行こうとする熱い気持ちを持っている。彼らがいる限り、無駄ではないと、信じたい。
ポイ捨てが無くなるまであと30年かかると僕は思う。「でも僕らがやらないと100年はかかる」と、メンバーの誰かが言った。
その通りだと思う。彼らの格闘は無駄ではない。そしてジャカルタお掃除クラブは、日本とインドネシア市民交流の新しい可能性を押しひろげつつある。そう信じたい。