講演依頼、コラム執筆、国際交流企画など、ご相談は無料です
こうした状況を変えるために、行政に頼るのではなく自分たちの手でなんとかしなければならないと考えた市民がいる。ジャカルタお掃除クラブ代表のデワント・バックリー氏(日本名は芦田洸)は、両親がインドネシア人・日本人で、インドネシアで20年以上暮らしている。今から3年前、ポイ捨ての横行に心痛めた芦田氏は、『じゃかるた新聞』連載エッセイでジャカルタ在住邦人社会に向かって一緒にジャカルタを清掃して歩く集団を結成しようと呼び掛けた(2014年11月4日までデワント氏は芦田名でエッセイを発表していたので、ここでは「芦田」氏のエッセイとする)。
掃除をするといってもこの巨大なジャカルタからどうやってごみをなくしていけばいいのか、正直言って私もわからない。ただ、外国人が集まって、ジャカルタをきれいにしようというスローガンを掲げ、月に何度かどこかの道路を掃いて回り、ごみを拾って歩き、その様子をインドネシアのマスコミにその都度取材してもらい、市民に訴え続ければ、外国人がインドネシアをきれいにしょうと一生懸命になっているのをみて、突き動かされるインドネシアの人もいるかもしれない。(『じゃかるた新聞』「火焔樹」2012/4/7付け)
この芦田氏の呼びかけに対して、在留邦人を中心とした有志20名が応えてジャカルタお掃除クラブは発足した。発足メンバーには、芦田氏の志に共鳴して、ジャカルタのみならず、バンドン、バリ在住の邦人も加わっていた。
初めての清掃活動は、2012年4月20日の日曜早朝、ジャカルタの巨大スタジアム「スナヤン競技場」周辺で行われた。この時の模様を伝える『じゃかるた新聞』紙面(2012/4/30付け)は、汗だくになりながらゴミを拾い続けるメンバーの姿を見た競技場利用者の中には、自分の周りのゴミを集めてメンバーのゴミ袋に入れにきたり、汗だくのメンバーにねぎらいの言葉と共に飲み物をさし出したり、次回は友達を誘って参加したいと申し出る人も現れた、と報じている。
そして活動開始3年間が過ぎて、ジャカルタお掃除クラブに触発されて、「行動しようインドネシア」「インドネシアを守ろう」「日曜を共に」といったインドネシア人主体のボランティアグループも生まれた。今では、本家本元のジャカルタお掃除クラブもインドネシアの若者が増えて彼らが運営の主体を担うようになっている。拙稿冒頭で紹介した今年の縁日祭でも、そうしたインドネシア人メンバーが、初めて企業単位でボランティア参加したらしいテレビ会社の社員たちにオリエンテーションをしていた。(写真)
活動の範囲もゴミ拾い活動から、ジャカルタ特別市への提言・助言、学校での啓発活動、大学での講演等と拡がってきている。ジャカルタ特別市には、日本の地方自治体の環境への取り組みを紹介するとともに、独創的な市民活動などの情報を提供しており、今年4月にメンバーがアホック知事と面会した際には、「ポイ捨ては恥ずかしい、という意識をジャカルタに根付かせるためにどうしたらいいか知恵を貸してほしい」と知事から相談があったという。
このようにジャカルタお掃除クラブの3年間の歩みをなぞってみると、本稿冒頭においては縁日祭でポイ捨てをやめない人びとへのデワント氏の嘆きを紹介したが、彼の志を共有する人びとがインドネシア社会のなかで次第に拡がっていることも事実なのだ。