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今日のインドネシアは、過去のスハルト政権のような非民主国家ではないし、経済成長下にあって社会のミドルクラス化が進行中である。インドネシアの高校や大学を訪問して若者たちと接すると、成長期にある国の青年特有の明るさ、楽天的思考を感じることが多々ある。
しかしその一方で、急激な社会変化は、伝統的な地縁・血縁社会を弱体化させ、個人の孤立を生み、競争社会のなかでストレスを抱える青年たちを世に送り出しているのも事実だ。また経済成長は万人共通のものではなく、成長の波に乗り遅れた人びとに強い疎外感をもたらしている。世界が注目する「躍進のインドネシア」の光が強烈であればあるほど、その影も濃い。
こうした社会矛盾を変えなければならないと考える正義感の強い若者は、どこの国にも、どの時代にも存在する。日本でも学生運動が最も盛んだったのは、バブル崩壊後の不況期ではなく高度経済成長期の1960年代だったことを、我々は知っている。彼らの多くがテロに奔ったわけではない。しかし閉鎖的な集団のなかで極度に純化された思想が、一部青年の現実感覚を麻痺させ、彼らを過激化させていったのが、連合赤軍のテロリズムだった。
今日の変貌著しいインドネシアにおいて、欧米主導のグローバリゼーションへの反感、ユートピア願望、終末願望が交錯するなかで、「イスラム国家」樹立という幻想的なビジョンが、ごく一握りとはいえ青年たちの心を深く、深くとらえているのだろうか。
3年前のジャカルタ赴任以来、できるだけ多くのイスラム寄宿舎(プサントレン)等イスラム教育機関をめぐり、若者たちとの対話に力を入れてきた。災害からの復興・防災など日本・インドネシア共通課題を語りあうことで、イスラムに対する関心・敬意を示し、相互信頼を培うことによって、健全な自尊心と国際協調精神を身につけた、世界で活躍するイスラム文化人に育ってほしいと願っている。前通信末尾に書いた「イスラム神学のなかに寛容を見出そうとする穏健イスラムの思想的模索に伴走する」、一つの実践のつもりである。(写真:プサントレン・トゥブイレン寄宿生たちとともに)