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他方、ガジャマダ大学教員アリ・アミン、イスラム国立大学ジョクジャカルタ校教員イナヤー・ロマニヤーらの共同執筆「アチェのテロリスト『脱ラディカル』化の教訓から」は、「脱ラディカル化」プログラムのなかで効果が挙がったもの、挙がらなかったものについて、具体的実践を精査している。
これによれば、イスラム過激思想に染まった受刑者たちは刑務所が準備した「再教育」プログラムを受け入れようとせず、大半のケースでは「脱ラディカル化」は失敗に帰しているという。しかし彼らの世界観、イスラム神学解釈を大きく変えようとするのではなく、一部修正させるだけでも、彼らがテロに奔る危険性をかなり軽減できるというのである。
「イスラム国家」樹立を求める思想の源流にあるのは、「サラフィー主義」というイスラム教スンナ派の一流派である。現世はイスラム本来のあるべき姿から逸脱しているから、イスラムの原点に回帰して厳格にイスラム法を守るべき、とする。これを現代において実現するためには性急な武力の行使(ジハード)を辞さないというのが、「イスラム国」支持者の考え方である。
その一方で同じ原点回帰でも「ジハード」とは別の処し方として、イスラムから逸脱した現世から避難し、信心深い者たちで信仰共同体を守る「ヒジュラ」という概念がある。攻撃的な「ジハード」と比べ、「ヒジュラ」は防御的、非暴力的である。
アリ・アミンらの共同論文は、リベラルなイスラム神学者よりも「サラフィー主義」神学者が「ヒジュラ」を説く方が受刑者の宗教心に響き、暴力を抑止する効果がある、というのである。また一方的な講義よりも、受刑者同士が討議を重ねて「ヒジュラ」の生き方を納得する方が効果は高い、という。
同論文の主張から類推するなら、おそらく宗教界で権威あるイスラム指導者の訓話よりも、かつてイスラム過激思想に染まりそこから脱退して元テロリストの体験談の方が、受刑者の「脱ラディカル」化に効果的であろう。
そもそも「脱ラディカル」プログラムの実効性を高めようとするならば、まず暴力的な手段を用いることを厭わないまでに思いつめてしまった人びとの内面を理解し、彼らとの対話を成立させる糸口を見つけなければならない。そうした観点からすると、かつて過激思想に染まった経験があり、そこから脱却した者たちの意見には耳を傾ける価値がある。
テロリストが思想的転向の結果、「脱ラディカル」を唱道する代表例としては、かつてのジェマ・イスラミア幹部で、バリ爆弾テロ事件にも関与したナシィール・アッバースが有名だ(写真:バリ爆弾テロ事件首謀者イマム・サムドラやノルディン・トプにイスラム神学解釈の観点から反駁を加えるアッバース著書)。
ブロガー、著作家のエディ・プライトノ(Eddy Prayitno)も、「脱ラディカル」を実体験した一人だ。エディはスハルト政権時代に、非合法「イスラム国家」樹立武装闘争に10年以上にわたって関与した。今は自らの体験に基づいて、「脱ラディカル」市民運動を展開している。
エディは、市民組織「脱ラディカル化と知識のためのインドネシア・センター」(Indonesia Center for De-radicalization and Wisdom;ICDW)のウェブサイトにおいて、暴力的なイスラム国家樹立運動に奔る青年層の心情について、「かつての自分がそうであった」と述べて、なぜ自分が急進的な活動に向かったのか五つの要因をあげている。
①ギャンブル、アルコール、ドラッグなどにおぼれ自堕落な生活を送っていた自分にとって、「良きイスラム教徒であれ」という青年イスラム運動の勧誘は、自分を変えるきっかけになると感じたこと。
②軍部独裁体制であった世俗主義的スハルト政権が「良きイスラム教徒」たちを弾圧しているという政治認識を抱いたこと。
③インドネシアの国是「パンチャシラ」に、イスラム教が固く禁じている偶像崇拝の匂いを感じ取ったこと。
④多くの「良きイスラム教徒」たちが貧困に苦しんでいるのに、貧富格差、権力者の汚職がまかり通っていることに憤りを感じたこと。
⑤非合法活動のなかで同志たちは固い友情によって結ばれているという連帯感を感じたこと。
以上かつての「イスラム国家」主義者だったエディが述べた五つの要因は、今日なぜインドネシアにおいて「イスラム国」思想になびく青年が現れるのかを考えるヒントを与えてくれる。