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古庄 幸一(理事)
昨年は大型の台風が日本列島の太平洋側を北上し、記録的な大雨を降らせた。中でも京都の桂川が荒れた18号と、東京都大島町(伊豆大島)で大規模な土砂崩れが発生し、多くの死者、行方不明者を出した台風26号の記憶は生々しい。またフィリピンを襲った台風30号の爪痕は未だに復旧していない。IT化した情報社会で予報が出されていながら、何故これ程の被害が出たのだろうか。
気象庁は例年に比べ台風のピークが8、9月から約一ヶ月後ろにずれていると予報していた。原因は太平洋南部フィリピン東側の海水温度が高いためだと。また夏から秋にかけての、上空の偏西風が南下するのが例年より約一ヶ月遅いこともその原因と分析している。更に日本周辺海域の海水温度が高いため、台風の勢力が衰え難くなっていることも情報として伝えられた。いずれにしても気象の変化情報に、適切な手を打ってこなかった人為的な災害なのか。又は情報は有ったのに、我々の動物的な五感が鈍ったために自然の変化に対応する能力が低下し、被害を局限出来なかったことに起因すると考えるべきか。
昨年の8月初め田舎に帰って友達と一杯やった時の話。友人曰く「山ん下刈に行つち気が付いたんじゃけんど、今年あ足長蜂がえれえ低い所に巣を造っちょる。こげん年あ台風が多いち昔から言われちょるき、気を付けなあえ」と。昨年は昔からの言い伝え通り、多くの台風が襲来した。動物や昆虫は本能的に自然界の変化を感じ、自らを守る能力を持っているのだろう。昔の人はそれらを体験的に学んで子供にも教えると同時に、自然災害に備えて農作業の段取りをし、足長蜂と同じ様に雨風対策を考えていたのだ。今日我々は自然界から遠くなる生活で、動物として本来持っていた本能を低下させ、その上昔から伝えられてきた知恵もどこかに置き忘れている。
もう一つ田舎の話。田舎では何故こんな所にと思う様な場所に、お地蔵さんが置いてあるのを目にする。父から「あのお地蔵さんは山の神があばれるから、人が手をつけてはいけない場所を教えるために祀られているのだ」と聞かされていた。だから昔の人は決してお地蔵さんに手を加えることはせず、掃除をし花やお供え物をしながらお参りをしてきた。ところが3年前そのお地蔵さんも、道路の拡張工事でどこかへ移され見なくなっていた。ブルドーザーがお地蔵さんの居た斜面を削り、道は広くなり車も余裕を以ってすれ違える程になった。ところが昨年の夏、大雨でお地蔵さんの居た場所が大きな土砂崩れを起こし、拡張されていた道路が川に崩れ落ちた。
板子一枚下は地獄と言われる船乗りの世界でも、いかに船がハイテク化したとは言え、帆船時代から語り継がれ守っているいくつかの非科学的な話がある。その代表は「船から鼠が居なくなると事故が起る」と言うことだろう。船内を荒らし、糞をしてまわる不衛生な鼠は、船乗りにとってはかわいくない生き物だ。しかし船内から鼠が消えると、火災か浸水か最悪は船が沈むと言われ、今でも船乗りは信じている。科学的な根拠は無い。
いずれも昔から言い伝えられて守られてきた事は、少し不便でも非科学的でも大事に伝えたい。猪、熊、鹿そして猿など、住宅地にまで餌を求めて出没するようになった。しかしこれらの動物が、土石流や水害で死亡しているのを見た事がない。動物達はまだまだ五感を働かせて、自然界で生き延びる術を失っていない。土石流の起こる場所や、増水で浸かる様な木々には巣を作らないのだ。鼠も身の危険を感じるのだろう。IT化した情報社会の中でも、守らなければならない自然界の掟があることを、我々はもう少し謙虚に見直すことを本気で考える時かも知れない。
首都圏直下型の大地震に備えて、筆者も錆付いた動物的なアンテナを磨き、動物のように自然災害から自ら守る術を回復したいと、家の外に出て自然の空気を吸う努力をしている。しかし動物的な五感を取り戻すことは難しいかなと思うと共に、ふと心に浮かんだ。、「今からでも遅くない。鯰を飼うか」と。
(平成26年2月17日)