NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

『荒城の月』を歌えますか

古庄 幸一(理事)

地球儀で南米のアルゼンチンを見ると、この国は日本のほぼ反対側に位置しているが、多くの日本人は好意を持っている。またアルゼンチンも親日的な人が多い。日本でアルゼンチンはと問えば、ほとんどの日本人は「タンゴ」と応えるだろう。私も「アルゼンチン・タンゴ」は好きで、今でもipodに取り込み聞いている。聞いていると元気が湧いてくるから不思議だ。アルゼンチン・タンゴは首都ブエノスアイレス市南東の、赤、黄、青とカラフルに彩色された家々が並ぶ、ラ・ボカ地区というかっての港町で生まれたことからしても船乗りが好むのも分かる。

一九九八年練習艦隊は遠洋練習航海の途中、ブエノスアイレスを訪問した。その時司令官はじめ各指揮官は、アルゼンチン海軍からタンゴディナーショーに招待され、美味しいアサードという焼肉でワインを飲みながら、幕の上るのを待っていた。するとスポットライトに照らされた司会者がステージに進み、「皆さん今晩は。今夜は皆様大変ラッキーです。地球の裏側から素晴らしいお客様がお見えです。日本国練習艦隊司令官を紹介します。」と挨拶をした。次の瞬間スポットライトが司令官に移ると場内から大拍手が起こった。

司令官はナプキンをテーブルに置き、ゆっくりと立ち上り「ブエノス・ノーチェス・ムーチャス・グラシアス」と、覚えたてのスペイン語で場内に手を振りながら挨拶をして席に着いた。一段と大きな拍手につつまれた時、司会者が「皆さん ショーの前に日本の音楽を一曲お届けします。『荒城の月』をお楽しみ下さい。どうぞ」と。言い終わると同時に幕が上りバンドネオンが響きはじめた。司令官が大分県豊後竹田市出身ということでは決してないだろう。日本の代表的な音楽として「荒城の月」が選ばれたのだ。気が付いたら「春高楼の花の宴・・・」と自然に声を出して歌っている司令官がいた。大感激で演奏が終わった時司令官一行は立ち上り、舞台のバンドに対し拍手を送った。その年の練習艦隊はブラジル・ドミニカ・コロンビア等多くの国を訪問したが、各国海軍軍楽隊では日本の代表的な曲として「荒城の月」を選んで演奏することが多かった。素晴らしい「おもてなし」だ。もちろん我が国に外国海軍軍艦が入港した時には、同じ様なお返しで歓迎している。

あれから筆者も「荒城の月」を口ずさむようになった。ある時小五の孫が遊びに来ていた時に、いつものように口ずさんでいたら「じじ、その歌は何?」と。「え、この歌知らないの。『荒城の月』だよ」と答えたが「知らない」とそっけない。傍に居た嫁が、「お父さんもう今は、昔の様な小学校唱歌は教えてないんです。国歌『君が代』を教えてない位ですから」と信じられない話。そう言えば、小中学校の入学式や卒業式でも「君が代」を歌わない学校が多いと聞いたことがある。

日本の高校生をはじめ多くの若人がスポーツ界や芸能界等、世界の舞台で活躍している。是非日本の代表的な歌と言われる、「荒城の月」くらいは歌えるように練習して欲しい。もちろんオリンピックで金メダルをねらうのならば、表彰台で「君が代」が歌えることが条件だ。

今やカラオケ文化は世界中に広まっている。歌詞を覚えていなくても字幕を追いながら上手に歌う。しかし団塊の古い世代としては呆け防止も兼ねて、好きな歌手が歌う好きな歌くらいは歌詞がなくても歌えることを自負している。皆さんは歌詞がなくても歌える歌を、何曲くらい持っていますか。「荒城の月」は歌えますか。

リタイア後も時々国外に出張する機会がある。訪問国の言葉は話せなくても、出発する前に日本では誰でも歌える唱歌「さくらさくら」あるいは「ふるさと」に該当するような、訪問国の歌を調べて歌えるように練習して出かけるように心掛けている。会議はうまくいかなくても、夜の宴会で訪問国の童謡が唄えることで、大いに助けられたことを思い出しながら口遊む。

「天上影は変はらねど 栄枯は移る世の姿 映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月」

(平成26年3月18日)

 

2014年5月10日 up date

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