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次に政治的視点から。真正面から語られているわけではないが、この映画に通奏低音的に流れているテーマは「庶民にとってインドネシア民主改革の時代とは何であったのか」という問いかけではないか。
強権的スハルト政権が倒れて、結社の自由、表現の自由が抑圧された時代は終わり、インドネシアは民主化に舵をきった。1998年に民主改革が始まった時、スハルト時代に横行した政府高官から末端に至るまで拡がっていた汚職、家族・親類・縁者が利権に群がる縁故主義は正され、自由な選挙に基づく民主的な政治は暮らしやすい生活を国民にもたらすものと信じられた。15年間の民主改革の時代を、庶民はどう受けとめているのか。
映画のなかば、ホーは政党の大規模な政治集会に参加する。大群衆を前に熱弁を奮う政治家。わきあがる歓声。ホーも社会批評調の曲を熱く歌う。しかし、彼の目は冷めたままだ。実は群衆の多くは政治動員によってかき集められた人びとだ。こうした政治集会を開くたびに巨額の金が動く。
カメラの前でホーがつぶやいた。「偽善だよ。政治家は俺たちのことを票田としてしか見ていないよ。改革の時代?偽善、偽善。」
さる4月9日、インドネシアで5年に一度の総選挙が行われ、事前の予測通り野党の闘争民主党が第一党になることは確実な情勢となったが、波紋を呼んだのはその得票率が19%程度に終わり、同党が目標にしていた27%に達しなかったことである。闘争民主党は最有力大統領候補としてジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)ジャカルタ特別州知事を全面に押したて、「ジョコウィ効果」で大量得票を狙ったのであるが、追い風は吹かなかった。大統領候補擁立要件である「得票率25%以上」を超えることができなかったため、闘争民主党は他党との連立を考えざるをえない立場になった。
実は現在のユドヨノ政権が不人気である理由は、連立政権ゆえの政権基盤の脆弱さから大統領が強いリーダーシップを発揮しえず優柔不断のイメージが定着してしまったことにある。清廉潔白で中央政界の汚濁に汚れていないジョコウィが圧倒的多数の支持を得て、強い大統領としてリーダーシップを発揮するのを望む声が高まっていたが、ジョコウィ候補、闘争民主党は連立を模索せざるを得ない。ということは再び、国民不在のまま政党間の合従連衡が繰り返される可能性が高まってきた。投票の翌日、インドネシア証券取引所の株価が急落したのは、市場の失望感を示すものであろう。
外からインドネシアを眺めると、急速な経済成長によって国民生活の底上げが進み、国民は満足しているように思われがちだが、中にあると相変らぬ政府高官の汚職続発、急速な物価上昇、格差の拡大に対する不満は、民主改革への期待が高かった分だけ、激しい競争にさらされている擬似中間層のあいだで鬱積している。ホーのように「民主改革」を「偽善」とみなす気分が擬似中間層に拡がる時、インドネシア民主化はタイのような試練に直面する可能性がある。
最後に、かなり重い現実を提示するこの映画を観終わった後に、爽快な気持ちになった。というのもカナダ人ダニエル・ズィブ監督が、貧しいストリート・ミュージシャンたちに対して、憐憫ではなく、精一杯生きている人たちへの共感という視点からカメラを回しているからだ。「友達」目線なのである。大柄のカナダ人が背中を丸めて、彼らの本音にうんうんと相槌をうち、その生き様に心から敬意を表している姿が目に浮かんでくる。どちらも清々しい。
4月に国際交流基金にアジアセンターが設置され、これから双方向交流をキーワードに日本とインドネシアで様々な活動が始まる。日本の「発信」だけではなく、インドネシアの人びとの声にも耳を傾けることも重要だ。スディルマン通りを走る乗り合いバスで熱唱を終えたホーが、バスの降り際に乗客に向かって放った声をいつか日本の人びとにも届けたい。