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ボニを「ホームレス」というのは正確でない。橋の下の暗がりにはちゃんとホームがあって、ジャカルタ市の上水道から漏れている水を「拝借」しパイプに通して、歯を磨いたり、洗濯をしたりしている。いわばかけ流しの上水道の流れる先には、ちゃんとバスタブもあって水浴びもできる。「路上生活で大事なのは、水を確保することだ。この生活を長続きさせる秘訣は、常に身体を清潔にしておくことなんだよ」と語る彼は、いたずらっ子のような笑顔だ。彼の「ホーム」の頭上には、ハイヤット・リージェンシー(すぐそばの海外VIPが定宿とするファイブ・スター・ホテル)の文字が掲げられているのには、笑ってしまった。随所に現れるユーモアが、この映画の魅力であり、ジャカルタ庶民の魅力でもある。(写真:橋の下で暮らすボニ 映画「JALANAN」より)
ボニのミュージシャン仲間ホーは、レゲエの神様ボブ・マーリーのような長髪がちょっと暑苦しいが、本人は気にいっているようだ。そして「オレ様は芸術家なのだ」といつも周りに胸を張っている。とはいえ懐具合はお寒い。時に食を抜いたりして、腹ペコ状態が慢性的なのである。にもかかわらず歌い始めると、そのソウルフルな歌声は彼の生命力を反映しているかのように力強い。モテタイ願望強く、まめに女性に声をかけているが、日頃の酔狂な暮らしぶりから推して知るべし。ステディな彼女はいない。
行き当たりばったりなホーと比べると、女性の主人公ティティは実にしっかりと自分を見つめている。彼女は、東ジャワ農村の貧困から逃れるために、引きとめる両親の手をふりはらうようにしてジャカルタに出てきた。生きるためにストリート・ミュージシャンになったのである。やがて結婚、三度の出産、そして離婚を経験する。子どもたちを東ジャワの両親に預け、子供の養育費を稼ぐために、再び路上で歌うようになった。しかし今のままでよいと彼女は考えていない。よりよい仕事に就くためには学歴が必要。キャリア・アップのためには、もっと自分を磨かないといけないと思うのである。
昨日と変わらぬ今日、今日と変わらぬ明日が続くかのように思われたが、5年の歳月は、彼らそれぞれに人生の決断を迫る。ボニの根城は運河の増水で流された上、洪水対策のための工事が始まり、彼は市当局から立ち退きを求められる。ホーは、三人の子連れ未亡人と知り合い、結婚を申し込み、彼女の同意を得る。結婚とは無縁と思われたホーが所帯をもつことになったのである。ティティは高校卒業資格を得るため学校に通い始め、10代のクラスメートたちとともに英語を学んだりして悪戦苦闘の結果、見事卒業資格を得て、涙の卒業式を迎える。