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国際問題コラム「世界の鼓動」

ジャカルタ通信:「一生懸命、生きてるかいっ?」

賛助会員 小川 忠

(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)

あの時の子どもたちとの再会

 独立戦争英雄の名を冠する「スディルマン将軍通り」(Jalan Jenderal Sudirman)は、インドネシアの首都ジャカルタ心臓部を南北に走る、この国随一の目抜き通りである。

はじめてジャカルタに赴任したのは1989年だったが、そのころは、心痛むストリート・チルドレンの姿が、仕事場が面するスディルマン通りの至るところで目についた。当時、「開発の父」と呼ばれたスハルト大統領の下、政府は経済開発政策を強力におし進めており、高層ビルや大型道路の建設工事が続き、中間層が本格的に登場しようとしていた。しかしその一方で目に余る貧富格差が生じていた。

やがて貧困層の怒りは1998年5月ジャカルタ大暴動というかたちの嵐となって、縁故主義、腐敗がはびこるスハルト政権を崩壊させるに至る。

 2011年に20年ぶりにジャカルタに戻ってくると、目に見えてストリート・チルドレンの数は減っていた。たしかに今も途方もない貧富格差が、この巨大都市には存在する。しかし街の中心にあるスディルマン通りからは、その実態が見えにくくなったように感じる。

25年前、熱帯特有のバケツをひっくり返したようなスコールの中で、ずぶ濡れになりながらビジネスマンに傘をさしかけて小銭に稼いでいた少年や、信号待ちの車に花を売っていた少女は、今頃どこで何をしているのだろう。慢性的渋滞状態にあるスディルマン通りの夕空を眺めていると、ふと、そんな感慨にとらわれることがある...。

 最近、かつてのストリート・チルドレンの一人と再会した。ただし映画のスクリーンのなかでの話であるが。

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2014年4月18日 up date

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