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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
ロシアに編入されることになってしまったクリミア自治共和国について、英国・ブリストル大学でヨーロッパ現代史を講義するジュリエイン・ファースト(Juliane Furst)教授が『シンフェロポリにて』(In Simferopol)というエッセイを書いています。掲載されているのはLondon Review of Books(LRB)のサイト(3月20日付)です。シンフェロポリはクリミア自治共和国の首都で、彼女は15年ほど前にシンフェロポリの国立大学でロシア語を勉強していたのです。
エッセイはそのときに見たクリミアについての想い出なのですが、彼女によると、クリミアはソ連の体制下にあって最も豊かな国とされていたのですが、クリミア人たちはウクライナ政府によって差別されていると感じており、ウクライナ語を話すことを非常に嫌がっていた。彼らによるとウクライナ語は「百姓の言葉」(peasant language)だった。
ジュリエイン・ファーストにはナターシャというロシア人の友人がおり、彼女はウクライナ人と結婚している。けれどナターシャによると、クリミアではウクライナの政治家は全く評判が悪い。中には自分の家のトイレを金(ゴールド)で作らせたりする人間もいるというのだから人気も出ようがない。それでも追放されたヤヌコビッチ大統領はクリミアでは多くの票を集めることもあった。ナターシャによると、クリミアのロシア人がうんざりしているのはソ連崩壊後いまだに続く混乱なのだそうです。ロシアへの編入を要求するデモ隊が掲げたロシアの国旗に混じってソ連の旗があったことがそれを示している。
私(むささび)はクリミアのことなど完全無知なのですが、彼女のエッセイを読んで非常に気になったのがクリミアで暮らすタタール人(Crimean Tatars)のことでした。クリミアの人口は約200万、人種的に最も多いのがロシア人で、全人口に占める割合は58%だからざっと110万程度、次に多いのがウクライナ人の24%(40万強)、3番目がタタール人で12%(20万強)という具合にロシア人がダントツで多いのですが、ファーストによると、首都・シンフェロポリでもロシア人(と少数のウクライナ人、ギリシャ人、アルメニア人)はもっぱら南側、タタール人は北側で暮らしていた。
南は美しく、開発も進んでおり、水道が通っていたが、北は木のない大草原でインフラは全くお粗末、水道が通っていなかった。
The south was pretty, developed and had water. The north was steppe, an infrastructural nightmare, and had no water.
クリミアのタタール人が決して忘れないのが1944年5月11日のこと。スターリンの命令でクリミアにいたタタール人約25万人が強制的に中央アジアに移住させられた。理由はタタール人がナチに協力したということだった。ほとんどが女性と子供であったそうなのですが、半分が運ばれる貨車の中で命を落としたのだそうです。タタール人はトルコ系の民族で、彼らの心は黒海を隔てた反対側にあるトルコにある。タタール人はイスラム教スンニ派で、内戦が続くシリアで反政府勢力として戦いに加わったりしているのだそうです。