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国際問題コラム「世界の鼓動」

ネット時代:50代の喪失感

賛助会員 春海 二郎

(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)

今年の8月29日付のLondon Review of Books(LRB)にレベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)というアメリカ人の作家によるエッセイが載っています。テーマはインターネット時代の人間関係。レベッカ・ソルニットという作家のことは全く聞いたことがなかったのですが、『暗闇のなかの希望―非暴力からはじまる新しい時代』という翻訳が出ているところを見ると、日本でも知られており、知らないのはむささびだけということかもしれない。『暗闇のなかの希望』のアマゾンの書評には「時代の変革のその時々に立ちつづけてきた女性」と書かれています。1961年生まれだから今年で52才です。私(むささび)は52才という年齢に興味を持ったのですが、そのことは後ほどにします。

LRBのエッセイは、

1995年の6月ごろに人間の性格というものが再び変化した。

In or around June 1995 human character changed again.

という書き出しで始まっているのですが、「1995年6月ごろ」というが具体的に何を意味するのかは書いていない。また「再び変化」(changed again)ということは、それ以前にも人間性が変化するようなことが起こったことがあると言っているように見えるけれど、それについても具体的には書かれていません。ウィキペディアによると、「インターネットの商業化が始まった」時期として1995年が挙げられているし、このエッセイのテーマからしても、インターネットがいまほど爆発的に普及する基点となったのが、約20年前の1995年ということなのでしょう。

ソルニットによると、この20年間に起こった人間性の変化は「深いけれどほとんど気がつかれない」(profound and hardly noted)類の変化です。ソルニットはインターネットがもたらしたものについてはかなり否定的なのですが、弊害の一つとして「情報の氾濫」について語っています。一つの情報を吟味しようとすると、別の情報が現れて自分の注意を喚起する。で、その新情報について考えようとすると、また次なる情報が現れて・・・結局どれについても集中して考えることが出来なくなるという状態です。彼女の知り合いのほとんど誰もが「昔ほど物事に集中することができなくなった」とこぼすのだそうです。

我々の多くが落ち着かない精神状態に取りつかれてしまっている。何をしていても、いつも何か別のことをしたがるという状態、少なくとも二つのことを一度にやっていないと気が済まない状態、あるいは何か別のものを調べないと落ち着かないような精神状態である。それは、自分が世の中について行けているかどうかということへの不安であり、ひょっとすると置いてきぼりを食っているのではないか、他人よりも遅れているのではないか・・・ということへの不安である。

A restlessness has seized hold of many of us, a sense that we should be doing something else, no matter what we are doing, or doing at least two things at once, or going to check some other medium. It’s an anxiety about keeping up, about not being left out or getting behind.

ソルニットはまた「あの頃」の固定電話による会話について

電話に出ている自分はまさにそれがすべて(それ以外のことはしていない)と考えるのが普通だった。

The general assumption was that when you were on the phonethat’s all you were.

と言います。いまの携帯電話の会話には「ながら」が多い。ショッピングをしながら、クルマを運転しながら、道を歩きながらの「会話」です。かつてのような長時間にわたる「深い会話」(deep conversations)は携帯電話には期待できないというわけです。

で、最初に触れた彼女の年齢(52才)のハナシになる。ソルニットによると年寄りはインターネットがもたらした新しい技術や生き方などにはそれほど晒されることなしに自分たちの生き方が守られているし、若い人たちは「生活が昔と変わってしまった」などと思い煩うこともなくネット・メディアの世界をすいすいと泳いでいく。それなのに・・・:

真ん中あたりにいる我々世代が喪失感に悩まされているのだ。我々がもはや持てなくなったのは「時間の質」というものであり、それははっきりとは言えないだけでなく、取り戻すなどということを想像することはもっと難しいのだ。

But those of us in the middle feel a sense of loss. I think it is for a quality of time we no longer have, and that is hard to name and harder to imagine reclaiming.

と言っているのですが、昔はあったはずの「時間の質」(quality of time)って何ですか?分かりにくいですよね。要するに、情報が氾濫し、みんなが携帯で別のことをしながら「うわの空」のような会話をする時代になって、一つのことにじっくり集中する時間というものが持てなくなってしまったということであり、それはどう考えても好ましいことではない・・・と、52才になるソルニットは嘆いている。

ソルニットは

時として考えるのであるが、新しい技術(インターネット)がもたらした時間の質に反対するような革命、あるいはそのような技術を支配する企業に対する革命が起こるということはないのだろうか?いやひょっとすると革命はすでに起こっているのかもしれない。ただその規模が小さく、しかも静かに進行しているだけなのではないか。

I wonder sometimes if there will be a revolt against the quality of time the new technologies have brought us, as well as the corporations in charge of those technologies. Or perhaps there already has been, in a small, quiet way.

と言います。そして何事にも集中することがなく、いつも自分が時代に乗り遅れているのではないかという不安状態から抜け出すためのキーワードとなるのが「ゆっくりであること」(slowness)であると主張します。その例として彼女が挙げているのが「スローフード運動」(slow food movement)なのですが、彼女はそれを単に食べものにまつわる運動とは考えていない。

Slow Food Japanというサイトによると、「スローフード」とは「食を中心とした地域の伝統的な文化を尊重しながら、生活の質の向上を目指す世界運動」となっているのでありますが、レベッカ・ソルニットはその運動が推進する「昔ながらの手作り生活」のようなものに共感を覚えている。彼女の場合はそれをインターネットがもたらした「不安な心理」から抜け出すための生活様式として考えている。国際的な大企業が見知らぬ国の労働者を低賃金で搾取した結果として提供する衣類や食品にどっぷり浸かった生活からの脱出を訴えて次のように結んでいます。

「ゆっくりであること」は、物質・時間・労働の点で、世界を再びまともな状態にしようとする試みである。その試みは笑ってしまうほど小さいが英雄的と言っていいほど野心的な試みでもあるのだ。

It’s an attempt to put the world back together again, in its materials but also its time and labour. It’s both laughably small and heroically ambitious.

最後に付け加えておくと、ソルニットはネット文化の一切合財に否定的というわけではない。例えば市民一人一人が自分のメッセージを多数の人々に発信することができるという機能がゆえに「アラブの春」が可能になったのであり、Facebookの機能を使うと全く音信不通だった旧友と連絡をとれるというのは素晴らしいことだと考えている。ただその便利さのために失った「ゆっくりやること」はあまりにも貴重だと言うわけです。

2013年11月4日 up date

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