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「同胞外交」を積極的に推進するインド政府の外交官であったラナは、「同胞外交」に総じて肯定的評価を与えているが、これには一定のリスクが伴うことに留意しておいたほうが良い。
1998年から2001年までインドに駐在し、ヒンドゥー・ナショナリズム台頭を目撃した時に知ったのは、海外インド人社会の一部がヒンドゥー・ナショナリズム組織に資金を提供し、過剰なナショナリズムを煽る実態である。海外にあって愛国心、愛郷心に目覚めるのはよくあることでそれ自体は危険視にあたらない。しかし現代世界において、一見オープンなようで実は母語の壁で閉じられたインターネット情報ネットワークを通じて、海外移民社会が抱く愛国心が、本国の排外的ナショナリズムと結びつき平衡を失ってしまう現象も発生している。
「同胞外交」の行く先の一つには、そんな袋小路が潜んでいるかもしれない。
さらに考えてみたい。文化、価値観を越えた対話は、新鮮な発見であり、知見を拡げるスリリングなプロセスであると同時に、我慢強く相手の話に耳を傾けないといけない、ある意味シンドイ作業でもある。同じ言葉、価値観、すなわち文化を共有する人を相手にした方が楽だ。しかし、これに甘んじ、対話の仲介者の役割を海外の「同胞」に過度に依存してしまうと、仲介者の主観で歪んでしまったり、本来努力すべき新たなネットワーク、チャンネル相手の開拓を怠ることにつながらないか。
最後に、今回の「在外インドネシア人会議」に関して感じた一抹の疑問は、今回の会議出席者は在外インドネシア人社会の声を正しく代弁していたのか、という点である。
その大多数を占める女性出稼ぎ労働者は、どれくらい会議に出席していたのだろうか。エリート、成功者の華々しさに目を奪われて、在外インドネシア社会が現実に直面する課題の解決に目を背けるなら、「同胞外交」は社会に根をはらないあだ花でしかないであろう。