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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
今年(2013年)は、JFケネディ(JFK)米大統領が暗殺されてからちょうど50年目なのですね。1963年11月22日、テキサス州ダラスでの出来事だった。それに関連してNew Statesmanが8月15日付のサイトでWhat if Kennedy had lived?(もしケネディが生きていたら・・・?)というタイトルのエッセイを載せています。筆者はジェイムズ・ブライト(James Blight)というカナダの学者です。もしあのときケネディが殺されなかったらその後のアメリカや世界はどうなっていただろうか?というわけで、ベトナム戦争、ソ連との冷戦、キューバと米国の関係などを想像しています。最初から最後まで紹介するべきなのですが、かなり長いエッセイで、はしょるのにも時間がかかるので、今回はその中の「疑い深いケネディ」(Sceptical JFK)という見出しの部分だけに絞って紹介します。
まずケネディとは直接関係ありませんが、Foreign Policyという雑誌が7年ほど前に「タカ派が勝つ理由」(Why Hawks Win)というエッセイを掲載しています。書いたのは心理学者のDaniel Kahnemanと政治心理学者のJonathan Renshonです。彼らの研究によると、戦争か平和かという政治的選択を迫られた世界の指導者のほとんどが「戦争」を選択しているのだそうです。これらの指導者たちはたった一人で決定を下すのではない。彼らを取り巻くアドバイザーの意見を聞いたうえで決定する。アドバイザーの中にはタカ派もハト派もいるわけですが、戦争か平和かの議論では常にタカ派が勝つのだそうです。
ケネディの場合この常識が当てはまらなかった、というのがジェイムズ・ブライトの指摘です。ケネディが大統領職にあった1961年1月20日から1963年11月22日までの2年と10か月の間にアメリカが軍事介入するべきかどうかを巡って政府内で意見が対立したことが、少なくとも7回あった。キューバ危機が2回(61年4月と62年10月)、ラオスが1回(61年春)、ベルリンの壁が2回(61年夏と秋)、南ベトナムが2回(61年11月と63年10月)です。
例えばベトナムの場合、ケネディ大統領を取り巻く安全保障アドバイザーが主張したのは、南ベトナム政府が崩壊することを避けるためにアメリカが軍事介入をして、同盟国に対するアメリカの信頼性を確保べきだということだった。そうする方がアメリカにとってのコストもリスクも少なくて済むというのがタカ派アドバイザーたちの主張だった。彼らによると、当時のソ連の軍事能力はアメリカのそれよりもはるかに下であり、アメリカが強く出てもソ連が同じようなタカ派的な態度をとることはないというものだった。
ケネディはタカ派アドバイザーによる「バラ色の見通し」(rosy predictions)を信用しなかったのですが、アドバイザーらにしてみれば、自分らの主張は正確かつ大量の情報に基づくものだと確信していたわけで、大統領の懐疑論(scepticism)にはイライラしていた。
ケネディ大統領は自分の本能と戦争体験から、戦争の本質というものを見抜いていた。それは混乱であり、無政府状態であり、事態を人間がコントロールすることが出来なくなる状態のことである。そして人間の理解力というものは誤りを犯しやすく、あてにならないものであること、人間が真実だと信じるものが実際には自分に都合のいい理屈や短絡的思考に基づく幻想にすぎないことがしばしばであることをケネディは知っていた。
JFK knew in his viscera and from wartime experience that the essence of war is chaos, anarchy and loss of human control over events, that human understanding is fallible and thin, and that what human beings believe is true is often delusional – self-serving, short-sighted and plain wrong.
ケネディは非戦論者(pacifist)ではなかったし、大統領になってからの演説でも世界の自由を守るために「いかなる犠牲も払うし、あらゆる重荷も負ってでも戦う(pay any price, bear any burden)と大いにタカ派的な発言をしている。が、ブライトによると、表向きの反共的レトリック(言辞)と裏側におけるタカ派的アドバイザーとのやりとりの間で、ケネディほどギャップが大きかった大統領はいないのだそうです。
ダラスにおいてケネディが暗殺されて、大統領を引き継いだのがジョンソンであったわけですが、ジョンソンはベトナムへの軍事介入についてケネディと対立していたタカ派的アドバイザー・チームを引き継いだ。ケネディとの違いはジョンソンがアドバイザーの意見をそのまま受け入れて政策を進めたということだった。
ジェイムズ・ブライトによると、もしケネディが殺されずに大統領を2期務めていたら、世界はいまよりは「安全で平和なところ」(a safer, more peaceful place)になっており、冷戦も1990年ではなく、20年は早く終わっていた。このことはこれまでに明らかになった資料からも確かなことなのだそうであります。