講演依頼、コラム執筆、国際交流企画など、ご相談は無料です
2013年7月、私達のカンボジアへの旅はシェムリアップから始まった。この国の世界遺産のもっとも有名な二大遺跡が近くに控えている。バイヨン(アンコールトム)とアンコールワットだ。バイヨンには観音菩薩の四面像があふれ、そびえている。近くにはライ王のテラスがある。三島由紀夫はこの寺院を見て感銘を受け、一編の戯曲を書いた。その中で観音様のかすかに笑った「拈華微笑」を表す苦心を、若棟梁に次のように言わせている。
「・・・俺は月の出を考へた。森がかすかに籠のように明るむ月の出、そのほのかな最初の兆、それもそんなに明るい満月ではない、三日月の鋭い刃を失った五日の月が、にじんで来るように空にあらはれるその兆、それが観音様の微笑だと思ふんだよ。」(癩王のテラス―三島由紀夫―中央公論社)
バイヨンの建設が始まった時、既に王さまの腕には赤い浸みが出ていた。レプラ(癩)の徴候だ。完成を迎えた時、既に王は失明し巨大な寺院の姿を見ることはかなわなかった。無数の観音菩薩は、そうした悲劇をもじっと見つめ微笑を浮かべていた。1296年に元朝の使節がアンコール期のカンボジアを訪れた。随行した周達観は次のように記している。「癩を病む者が多く、比比として多数の病人が道路の間に「居る」。(中略)又、以前に国王でこの疾をわずらったものがあり、その故に人はこれを嫌わないのだという。」(真臘風土記―東洋文庫・平凡社)
カンボジア出発前に、知人の作家の本を読んだ。彼は戦場をカメラマンと作家の両方の眼で見つめ、「戦争文学」を書き続けている。タイで僧侶の経験もある。「聖丘へ」と題する作品の中で、主人公は、「榕樹に絡みつかれ、崩れかけている遺跡群の、四面の石像」の顔を思い浮かべる。「残忍さや過酷さを肥やしとして、死や苦悩や叫びを、生の車輪の巡る力として吸収しながら、より重い静寂を深めている。それは前面で厳粛さを表出しながら、その背面で捧げられる犠牲の生き物の血を哄笑しつつ貪っている。」(聖丘へ―五十嵐勉-アジア文化社)
カンボジアの内戦で、多くの知識人が殺された。ベトナムが侵略し、カンボジア人は耐えている。しかしこの国にはアプサラ(宮廷の踊り子)のような可愛い女の子達と恥ずかしがり屋の男の子達がいる。悲惨な現代史とは別の、「希望」が芽生えつつある。
シェムリアップは急速に国際都市へと姿を変えつつある。空港には19の航空会社が乗り入れ、外国からの観光客を運ぶ。首都プノンペンへ通じる国道は拡張工事中だ。首都近郊のメコン川流域には高層マンションが建ち並びつつある。オートバイの後ろに4人乗りの座席を引く「トクトク」が街中を走り回り、その横を悠々とトヨタ・レクサスが追い抜いてゆく。