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賛助会員 緒方 修
巨大な樹木群の間に、真っ青な空と白い雲が見える。遺跡はところどころ、ガジュマルの大木に絡まれていた。一つ一つの石が枝にわしづかみにされ、樹幹に吸い上げられ、天に向かってゆく。まるで砂時計を逆さに見るように、一粒一粒の砂が何百年もかけて次第に消えてしまう。そんな錯覚に陥った。
フランスの作家・アンドレ・マルローが尋ね当てた遺跡はこんな光景だった。いやもっと樹木が密生し、遠く近く野獣が咆哮する野蛮な密林だったに違いない。作家はアンコールワットから北へ約40キロメートルのパンテアイ・スレイに向かった。女の砦という意味の寺院だ。そこで腰をくねらせた優雅な女神像に出会う。このレリーフをまるごと切り取って国外に持ち出そうとして逮捕され、裁判にかけられた。この時の経験を基に書いたのが「王道」である。
後のフランスの文化大臣、ノーベル文学賞作家は実はカンボジアの宝を持ちだそうとした泥棒の経験もあるのだ。彼は「情熱あふれる」破天荒な人物であった。若い時はいかがわしい本売りで稼いだ。当時はフランスの植民地であったカンボジアに赴いたのも、クメール美術への憧れと同時に金儲けが目的であった。現在、この像は「東洋のモナリザ」と呼ばれ、保護のため立ち入り禁止で間近に見ることは出来ない。
マルローのために一言弁護するならば、彼は決して「フランス帝国主義」の走狗として行動したのではなく、むしろ自国の現地官僚達に厳しい批判の眼を向けていた。
マルローは日本にも関心を抱いていた。藤原隆信の源頼朝像を絶賛したことでも知られる。熊野の那智の滝や伊勢神宮なども訪れた。「日本はそれ自体の国」、そっくり受け入れるか拒否する以外にない、とその独自性を評した。