講演依頼、コラム執筆、国際交流企画など、ご相談は無料です
そもそもサッチャーさんが首相になったころの英国はどんな状態であったのか?1970年代の英国は、まさに落ち目の国という様相を呈していた。インフレ率は年間13%(西ドイツは5%)、失業率は4%(西ドイツは2%)、町はさびれ、ストライキが頻発し、北アイルランドではテロ騒ぎが毎週のように起こっていた。外国メディアは英国のことを「ヨーロッパの病人」(Sick Man of Europe)などと書き立てたし、キャラハン首相などは友人に「私がもう少し若ければ、外国へ移住するだろう」(If I were a young man, I would emigrate)とささやいたりしていた。要するに全くアウトの情けない状態であったわけです。
そのすべてを変えたのが1982年のフォークランド戦争だった。これに勝利することで、瀕死状態どころか「大英帝国がよみがえった(Britannia incarnate)」ような気分になってしまった。減税が実行され、ストライキはなくなり、生産性は大いに向上し、外国企業がこぞって英国に投資するようになった。それらの出来事の象徴ともいえるのが、北イングランドへの日産自動車の工場進出だった、とサンドブルックは言います。
もちろんいいことばかりではない。どころか1980年代初頭の失業者は360万人に達したし、1984年~85年の石炭労働者のストはまさに国論を二分する出来事だった。要するにフォークランド戦争は別にして、80年代の英国は大いに痛みの伴う社会的な過渡期にあったわけです。背景には二つあって、一つには70年代からあった問題を先送りしてしまったことですが、主なる背景としては経済のグローバル化の進行に英国の主要産業が乗り遅れてしまったということです。特に自動車、造船、石炭産業などが遅れをとっていた。
これらはいずれもサッチャー登場以前から存在していた問題だったし、失業者の数にしてもサッチャーが首相になる前のキャラハン政権の時代でも150万人を超えていた。
産業の民営化、規制緩和、重工業の破滅、失業者の増大・・・どれもサッチャーと結びつけて語られるものだが、これらの事柄は実はサッチャーが首相にならなかったとしても、起こっていたであろうことはほぼ間違いないのである。ただそれが少々ゆっくり起こったということはあるかもしれないが・・・。
Even if she had never been prime minister, many of the changes she came to represent, from privatisation and deregulation to the death of heavy industry and the rise in unemployment, would almost certainly have happened anyway, only more slowly.
サンドブルックはさらに、「古き良き英国」を象徴するようなもの(例えばフル稼働の忙しい工場で働く労働者階級、混雑するパブ、石畳の町etc)にとってかわる「新しい英国」がすでに姿を現しつつあったと言います。この「新しい英国」を表現する言葉はambitious(野望に満ちている)、materialistic(物質的)、individualistic(個人主義的)です。このような英国はサッチャーがいてもいなくても出てきていたということです。
サッチャーさんの強烈な個性や自己主張がゆえに良くも悪くも何でも彼女と結びつけて語られがちであるけれど、英国人が言う「サッチャーの英国」(Thatcher’s Britain)は、彼女が作ったものであると同時に我々が作ったものでもある、とサンドブルックは言います。
サッチャーはいわゆる「ウーマン・リブ」の活動家たちが大嫌いだったのだそうですが、首相・サッチャーが当時の英国社会における女性の社会進出のシンボル的存在であったことは否定できない。英国はこの点では案外遅れていたと見えて、サッチャーが初入閣した1970年、ハンバーガーショップのWimpyでは「深夜の女性の一人客」はお断りだった。理由は夜中にハンバーガーショップなどに来る女は売春婦に決まっているという、訳のわからないものだったのだそうです。
サンドブルックは、今から数世紀後の英国で、「マーガレット・サッチャー」が話題になったとしても、フォークランドや人頭税のような「細かい」ことは誰も憶えていないだろう。はっきり記憶されていると思うのは彼女が女性であったという単純な事実(simple fact of her femininity)である、と言っています。
サッチャー自身はそうは思わないかもしれないが、結局のところ「鉄の女」の面白いところは彼女が鉄でできているということではなくて、彼女が女性(lady)であったということだろう。要するに、ここにいるのは(マーガレット・サッチャーという)女性そのものなのだ。はっきり言って、サッチャーという人について最も際立っている部分は、彼女が女であったという事実そのものなのかもしれない。
Thatcher herself might not agree, but in the end, the interesting thing about the Iron Lady was not that she was made of iron. It was that she was a lady. In the end, you are left with the woman herself. Indeed, the very fact that she was a woman may well have been the most remarkable thing about her.