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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
いま英国で話題になっている本に “The Metric Society” というのがある。ステフェン・マウ(Steffen Mau)というドイツの社会学者が2年前に著したものが、最近になって英訳されて話題を呼んでいるということです。本のタイトルを日本語にするとおそらく『数値化社会』とでもなるのでしょうが、「人の生活も社会もますます数字に支配されるようになっている」(Life and society are increasingly governed by numbers)というわけで、人間のありとあらゆる行動がフォローされデータ化されるようになると、人間は行動の自由を失い常に監視された状態に陥る・・・それがこの本のメッセージであり、警告でもあります。この本についてはいろいろなサイトに書評が出ているのですが、むささびは“Public Seminar”というディスカッション・サイトに出ていたものを通じて紹介してみます。
“The Metric Society”では、現代の「数値化社会」の典型として、中国政府が2020年の完成を目指して取り組んでいる「社会信用システム」(social credit system)なるものが紹介されている。中国国民の一人一人に関するさまざまな情報が集められデータ化される。例えば交通違反を犯した件数、インターネットの利用状態、消費動向、勤務状態、学校や勤務先での成績から地主や家主とどのようなトラブルを起こしたか・・・個人的なものも含めてありとあらゆる情報が集められデータとして保存される。それによって政府は国民一人一人の人間像をデータ(数値情報)として知ることができる。
(中国の社会信用システムは)欧米社会で育った人間から見ると「地獄」(dystopia)としか思えないかもしれないけれど、果たしてそれは中国だけの話なのか?Sounds like a dystopia – so unlike we who live in the Western world, right? I am not so sure.
というのが、この書評の問いかけです。”The Metric Society”は副題が「社会の数量化について」(On the Quantification of the Social)となっている。中国の社会信用システムは極端な例かもしれないけれど、欧米社会においても人間を「スコア」「ランク」「グレード」のような数値で説明しようとする傾向はある。
例えばフェイスブックのようなSNSの世界では、自分が投稿した記事や写真がどの程度の「イイネ」を獲得したかが気になる。そんなものは重要ではないし、それによって人間の価値が決まるわけではないと言われるけれど、著者であるステフェン・マウによると、比較可能なデータによって人間のステータス(地位)を決めようとする傾向は否定できない。自分たちの行動をコンスタントに記録し、それを何らかの等級付けシステムに組み込む中で、我々は他者による期待や評価とは無縁に振る舞う自由を失うことになる。即ち
人間は、好むと好まざるとにかかわらず「演じる者」(パフォーマー)となり、人工的な「自分自身」を作り出すことにエネルギーを費やすことになる。We become performers whether we like it or not, investing in an artificial production of ourselves.
他人と競争し比較されているので、常に他人より “better” で “faster”でなければならないという圧力にさらされながら生きることになる。ステフェン・マウによると、自分自身を「質」ではなくて「量」(数字)で表現しようとすると、趣味・家族関係・癖のようなきわめて個人的な事柄までもが「客観的」な数値化とそれに伴う「競争」の対象になってしまう。例えばオンライン・スポーツの世界では参加者がランク付けされる。そうなると勝って上位に行かなければというプレッシャーを感じるようになる。人間には、他人よりも優れた成績(better achievements)を収めることによって劣等意識を緩和しようとする性癖のようなものがある、とマウは説明する。
ただ自分のパフォーマンスを(客観的に見える)数字で測ろうとする姿勢には危険性がある。数字が単に事実を示すだけにとどまらず、ことの善し悪しを判断する価値観にまで影響を与えてしまうということです。マウはそれを「社会的存在価値の構築」(construction of “social worthiness”)と呼んでいる。「社会的存在価値」(social worthiness)とは、自分が世の中にとってどの程度必要とされているかという意味ですが、マウに言わせると、それはもともと(自然に)存在するというよりも、その時代の社会によって「作られるもの」(constructed)である、と。欧米の人間は、中国政府が作り出そうとしている「社会的信用システム」には顔をしかめるかもしれないけれど、実際にはそれはすでに欧米社会にも存在しており、目に見えないだけのことなのだ、というわけです。
“The Metric Society”によると、現代においては人間の価値が数値化され、個性のようなものまで比較可能なデータで表されるけれど、人間にはまた”agency”というものも備わっている。即ち個々人が自由意志を持って独立した行動をとる能力(capacity of individuals to act independently and to make their own free choices)というものを有しており、それを発揮することによって「数値化社会」の罠から逃れることができる、と。
立ち止まって考えることが、自分と社会との健全な関係を再構築するために欠かせない。 Pausing and reflecting are crucial to rebuilding a healthy relationship with ourselves.
というわけで、データやランキングが支配しがちな現代においては、立ち止まることが大切である・・・というのが、”The Metric Society”のメッセージであるようです。