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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
6月2日付のThe Economistのヨーロッパのセクションに “Beneath the paving stones” (石畳の下に)というタイトルのエッセイが出ています。いまからちょうど50年前の1968年は、ドイツにおける学生運動にとって忘れられない年なのだそうで、そのことを語りながら現代のドイツについて語っているのですが、1968~2018の50年間を日本との対比で考えるうえで、同じ時代を生きてきたむささびにとっては非常に面白い内容だった。
むささびはベルリンには超近代的な鉄道駅に数時間いたことがあるだけなのですが、ベルリンにあるKrumme Strasse 66(クルメ通り66番地)という場所は、今のドイツ発祥の地(birthplace of today’s Germany)とも言える場所なのだそうですね。この付近にはDeutsche Operaという国立歌劇場があるのですが、1967年6月2日、西ドイツを国賓訪問していたイランのパーレビ国王(当時)がモーツァルトの『魔笛(Magic Flute)』を観劇に来た。その際に独裁者・パーレビに反対する学生たちと彼を支持する学生のデモ隊が押し寄せて衝突、26才になる反パーレビの学生が私服警官に射殺されるという事件が起こった。この事件をきっかけにして翌年(1968年)ドイツ全土の大学に反政府抗議運動のようなものが広がることになる。参加した学生たちにとって前年(1967年)の事件は、戦後20年以上も経過しているのに、戦争中の権力者たちの横暴が生きている(authoritarian violence still lurked in German society)ことを示すものだった。
1968年、ドイツ全土の大学キャンパスに吹き荒れた反権力闘争に参加した人びとのことをドイツでは「68世代」(英語ではSixty-eighters: 68ers)と呼ぶのだそうですが、参加学生の中には後にドイツ政界で活躍するような人間も含まれている。例えば1980年に創立された「緑の党」を代表して社会民主党との連立を組んだジョシュカ・フィッシャーはかつては警官隊に石を投げつけた過激学生であったし、連立の相手であった社会民主党のゲルハルト・シュレーダー首相も政治家になる前は68世代の過激派活動家を法廷で弁護する仕事をしていた。さらに2005年以後のメルケル政権は保守派のキリスト教民主同盟ではあるけれど、進歩的な68世代が推進したような福祉・環境保護に重点を置く政策を遂行してきた。
あれから50年、68世代も60~70才を超える時代になっており、さまざまな分野で重鎮的な存在になっているけれど、いわゆる「体制」(establishment)の一部になってしまった人間も多い。あのジョシュカ・フィッシャーは社会民主党政権の外務大臣、副首相にまでのぼりつめたのですが、1999年のコソボ紛争に際しては、それまでの平和主義を放棄してドイツの軍事参加を主張するに至っている。女性解放運動をリードした人物がテレビ・タレントになり、68世代からは蛇蝎のごとく嫌われた大衆紙”Bild”のジャーナリストになっている人物も・・・。つまりかつての反体制運動の担い手が「体制」という立場についたのが現代のドイツであるというわけです。
ポスト68世代のドイツを代表するものの一つが、ベルリンにあるホロコースト記念館(Holocaust Memorial)で、ナチによる犯罪を後世に伝えるものではあるのですが、この記念館の「精神的な故郷」(spiritual home)は北ベルリンにあるプレンツラウアー・ベルク(Prenzlauer Berg)というエリアなのだそうです。このエリアはかつての東ベルリン地区にあり、貧しい学生や芸術家が暮らす街だったのですが、今ではカフェやオーガニックのショップが並ぶお洒落なエリアに変身している。「リッチな自由人(ボヘミアン)」には大いに好かれているけれど、The Economistのエッセイはこのエリアのことを「進歩的で善意ではあるけれど、偽善的でもある」(progressive and well-meaning, but sanctimonious)と表現している。日本流に表現すると、1968年という時代を「古き良き時代」としてノスタルジックに振り返る「進歩的文化人の街」という感じなのでしょうね。
68世代が体制化してしまったかのように見える2018年のドイツにおいては、それに反対する「反体制」グループが存在する。「反68世代」は大きく二つに分けることができる。一つは「もう一つのドイツ」(AfD)と呼ばれる右翼政党の支持者たち。彼らによると68世代は「自己嫌悪によって国をダメにした」(1968 infected the country with self-loathing)人間たちということになる。この種の主張をするコメンテーターの中には1968年当時は過激派学生だった人間もいるのだそうです。
もう一つの反68世代グループはAfDほど過激ではない「中道右派」だそうです。現政権の中でもメルケルに批判的とされるグループなのですが、ポスト68世代の時代は終わったと主張している。つまり「1968年」を軸にドイツを考えること自体を止めようと言っている。このグループは移民規制、堕胎規制などを主張するのですが、要するにメルケルによる「行き過ぎたリベラル政治」に対抗して「ドイツ人としての自分たちにもっと自信を持つ」(more confident sense of German identity)ということが主張のポイントです。
もちろんこれらに対抗するように「68年体制派」(pro-1968 establishment)とでもいうべきグループは存在する。メルケル政権の中でも「リベラル」と目されるグループ、緑の党、そして幅広い意味での「左派」の人たちがこれに入る。今年の5月28日、ベルリンで右翼のAfD支持者たちが終結して反メルケルのデモを行ったのですが、同じ日にそれに対抗するかのように左派系グループによるデモも行われて右翼グループによる人種差別主義などに対抗して気勢を上げていた。いずれも自分たちの意見に確信を持つ人間の集まりという感じであったのですが、The Economistのエッセイはそのデモが象徴するドイツについて次のように述べています。
このデモが行われたのは、これまで「コンセンサス」ということに慣れ親しんできた国には、似つかわしくない現象を示していた。すなわち二極化ということである。
But in a country that has become used to consensus, it spoke of something unfamiliar: polarisation.
メルケル首相が率いる現在のキリスト教民主同盟(CDU)政権は、実際にはキリスト教社会同盟(CSU)という姉妹党との連立政権です。最近そのCSUを代表して内務大臣としてメルケル政権に参加しているホルスト・ゼーホーファーが、メルケルが推進する、どちらかというと寛容な移民受け入れ政策に反対して連立解消のピンチにまで陥った。結局、メルケルが譲歩したことで、いちおう連立解消は回避されたと報道されています。