NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

「狂信」と「嘲笑」を超えて

賛助会員 春海 二郎

(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)

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mj389-altrighttop思想・哲学・心理学のような話題を取り上げているサイトに aeon というのがある。そのサイトに “Alt-Right or jihad?”(極右思想かイスラム過激主義か) というタイトルのエッセイが出ています。人類学者のスコット・アトラン(Scott Atran)という人が書いたもので、ここ数年、ヨーロッパやアメリカで猛威を振るっているイスラム過激思想(Jihadism)とネオナチやアメリカのKKK(クークラックスクラン)のような白人極右思想について語っている。欧米社会が大事に守ってきたはずの民主主義を真っ向から否定する考え方で、欧米社会で暮らす若者たち(イスラム教徒も白人も)の心を掴んでいるようにも見えるけれど、アトラン氏の考えを一言でまとめると

イスラム過激思想も白人極右思想も根は同じ。グローバル化の暗黒面が出てしまっていること、そしてそれぞれの社会におけるコミュニティの崩壊である。
Unleashed by globalisation’s dark side and the collapse of communities, radical Islam and the alt-Right share a common cause

となる。アトラン氏はこれらの狂信主義と暴力的ナショナリズムを乗り越えるカギを握るのがコミュニティの復活と若者であるとしています。大いに読まれて然るべき内容のエッセイなのですが、5300語とやたらに長いのが玉にきず。ポイントだけ抽出して紹介してみます。

狂信の魅力

mj389-jihad「グローバル化」とは、国と国との境目がなくなってモノや人が自由に行き来する状態のことで、悪いハナシではない。が、「暗黒面」(dark side)もある。人間であれ、モノであれ、それまでには触れたことのない異質なものと接触するのだから摩擦も増える。それまで暮らしてきたコミュニティが変わらざるを得ず、それを「崩壊」と呼ぶことも出来る。そのことによる戸惑いの中で、それまで自分たちを律してきた「リベラル民主主義」を捨てて排他主義や狂信的思想に走る人間も出てくる。「グローバリズムなんてものがあるから、ヘンな奴らが入って来るんだ」というわけです。

アトラン氏によると、極右思想やジハディズムが(ある人びとにとって)魅力的なのは、考え方の中身ではなく、集団的な帰属意識(collective identity)のようなものに浸ることができるということです。そのために自分の命までも投げ出すことを厭わないほどに素晴らしい思想であると思い込ませている。反対に現代の欧米社会では「リベラル民主主義」のために命を捧げようなどと考える人間は殆どいない・・・ということがアトラン氏らが行った世論調査などで明らかになっているのだそうです。

「歴史の終わり」ではなかった?

mj389-neonaziアトラン氏の主張は、25年も前(1992年)に一世を風靡した、あのフランシス・フクヤマの思想を否定しようとするものである・・・本人はそのようには言っていないけれど、このエッセイを評論するThe Economistの解説記事はそう言っている。『歴史の終わり』(The End of History and the Last Man)という本の中でフクヤマは、ソ連共産主義や他の独裁体制の崩壊によって「歴史が終わる」と予測した。

透明なルールに司られる自由市場主義や自由な選挙にまさる制度は存在しないという状況が出現したということだった。
In other words: a state of affairs in which there was no serious alternative to free markets and free ballots, underpinned by transparent rules.

つまり欧米社会が採用しているリベラル民主主義は、人類が持ち得る最高・最善・最後の政治体制であって、これ以上のシステムは将来もあり得ない・・・と。むささびは読んだことがないけれど、あの本が出た当座、日本のメディアは大騒ぎでこれを取り上げていたのを記憶しています。

mj389-kkk1でも、あれから25年、アトラン氏がフランス、スペイン、モロッコなどの知識人たちと共同で調査したところによると、民主主義を守るために命を懸けよう(to give up their lives for democracy)という意思は殆ど存在しない。それはISISのようなテロに見舞われているはずのヨーロッパにおいて特に顕著である、と。テロ事件が起こるたびに西側の指導者たちは、「我々の価値観が勝利するだろう」(our values will prevail)という声明を発表したりするけれど、アトラン氏によるならば、彼らの言葉は単なる口先だけに終わっている。

「敵はイスラム文明に変わった」

欧米の若い世代の人びとは、船が岸壁から離れて漂流するように、伝統的なものから身を引き離して新しい「社会的な存在価値」を求めてもがいている、とアトラン氏は見ている。フランシス・フクヤマの本と同じような時期に『文明の衝突』(The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order)という本が出て、これもメディアの間ではほとんど流行語のようになった。冷戦後の世界では、それまでの共産主義vs資本主義のようなイデオロギー対立に代わって、欧米文明vsイスラム・儒教のような文明間の対立の時代になると主張、ソ連なきあとの新しい敵を見定めるための発想を提供するものとして話題を呼んだ。

要するに「敵は共産主義からイスラム文明に変わった」と主張していたのですが、アトラン氏によると、肝心の欧米文明そのものに解体現象(unravelling)が起こっており、ジハディズムや白人至上主義のような狂信思想は、社会における自分の存在価値のようなものを模索する若者たちの欲求に応えてきた、と。

ダボスの嘲笑が聞こえる

mj389-davos経済が行き詰まる一方で技術開発がめまぐるしく進む中で、狂信主義やテロリズムが横行したことはこれまでにもある。19世紀末には無政府主義がロシアやアメリカを席巻したし、20世紀初頭にはアメリカのKKK(クー・クラックス・クラン)が400万の会員を擁していた。現在ではイスラム過激派、白人極右勢力の間では、相手を叩き潰すための「最後の戦い」(final reckoning)を始めるべきだという考え方が強い。ある白人至上主義者は「人種戦争の必要性を認識しないのは悪だ」(Evil is the failure to recognise the necessity of race war)とまで言っている。

にもかかわらず(アトラン氏の見るところでは)欧米の指導者や知識人たちは、相変わらずフランシス・フクヤマ的な楽観主義(リベラル民主主義万能論)から抜け出せないでいる。アトラン氏がダボス会議などで彼なりの悲観論を語ると、殆どの参加者がイスラム過激思想や極右思想などはグローバル化が進展する中における「負け犬」(losers)にすぎず、これから進展する人工知能やロボット技術による「おこぼれ」(handout)をあげれば収まる・・・と悲観論を笑い飛ばしている。アトラン氏は「ダボスの偉いさんたちは自らの墓穴を掘っている」(The doyens of Davos thereby could be subsidising their own extinction)と考えている。

若者とコミュニティの復活

mj389-youth「ダボスの偉いさん」によるグローバリズム万能論と、そこからはじき出されたと感じている現代の「負け犬」たちによる暴力絶賛論の声が高い中で、アトラン氏が希望を繋いでいるのが、若い世代をリーダーとするコミュニティ活動の復活です。グローバル化によって進んでしまったコミュニティの崩壊を草の根レベルで立て直そうという動きがヨーロッパ各国で見られるのだそうです。例えばドイツの暴力撲滅ネットワーク(Violence Prevention Network)、右翼勢力からの離脱を呼びかけるドイツ脱出活動(Exit Germany)、スウェーデンのExit Motalaなどは、いずれも地元の住民が立ち上げた運動で、それぞれのコミュニティにおける暴力や貧困の追放に取り組んでいる。

国際的な動きとしてアトラン氏が注目しているのが、The United Network of Young Peacebuilders(UNOY)という平和構築を目指す若い世代のネットワークで、オランダに本部があり、世界50か国に約80のネットワーク組織を有している。2015年に採択された国連決議2250(若者の政治参加を促進する)の推進に中心的な役割を果たしている。アトラン氏によると、現在、イスラム過激主義や白人優越主義などの暴力的な活動の中心を担っているのが若い世代であり、それに対抗する運動も若い世代が中心となって、狂信主義のとりこになっている若い世代を引き抜くようでなければ意味がない。

mj389-youth1変わりゆく世界の中で不安を感じない人間はおらず、変化を拒否し、自分たちとは違う存在に対して恐怖のみを感じながら生きている人びとが多い。暴力と狂信の中に希望を見出そうとする幻想から逃れるのも容易なことではない。ただ「世界にはまだこれらに対抗する情熱や思想をシェアする機会(chance)は残っている」として

我々の祖先の中には、そのような機会を求めて革命・内戦・世界戦争を戦った者もいるのだ。
It is for this chance that some of our forebears fought a revolution, civil war and world wars.

という言葉でアトラン氏の長い論文は終わっています。

2018年1月25日 up date

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