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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
この記事が出るころ北朝鮮情勢がどうなっているのか分からないけれど、8月9日付のGuardianに掲載されたHaeryun Kangという韓国ジャーナリスト(女性)のエッセイを紹介します。この人はKorea Exposeという英語サイトの編集長だそうですが、最近の北朝鮮とアメリカをめぐる情勢について「韓国でも怖ろしいことだと思われているけれど、韓国では(北朝鮮に対する)恐怖が当たり前になっている」(In South Korea we’re scared but we’ve normalised the fear)と言っています。エッセイの書き出しは次のとおりです。
我々は北朝鮮の脅威に無関心であるわけではない。ただ恐怖が非常に深いところにあるので、恰も無関心であるかのように見えるのかもしれない
We’re not indifferent to the threats from North Korea: the fear is so deep it prevents us showing any interest
彼女によると、北朝鮮が7月28日に行った弾道ミサイルの発射(今年に入ってか12回目)について、殆どの韓国人が無関心で、「金曜日の夜のソウルの街には何の緊張感もなかった」と言っている。
彼女は、2016年1月、北朝鮮が水爆実験に成功したときに、ソウルの街頭で市民にインタビューをしたことがあるのですが、そのときも多くの人が無関心という感じであったと記憶している。このような外見上の冷静さや無関心ぶりを見て、大体の外国人は、韓国人が北朝鮮の脅威に余りにも度々さらされており、ウンザリもしくは無関心という精神状態にあるのだ・・・と考えたりする。しかし(筆者によるならば)韓国人の「無関心」(indifference)はもう少し複雑なのだそうです。
彼女によると、韓国人の「無関心」の背後には、北朝鮮に対してそれぞれが抱いている強烈な個人的なこだわり(personal attachment)のようなものが存在するのだそうで、このことは若年層にも言えるとのことです。韓国と北朝鮮は、67年前に朝鮮戦争が始まった時点で決定的に分離させられたわけですが、(逆説的に聞こえるかもしれないけれど)韓国の歴史も韓国人の自己認識(アイデンティティ)も北朝鮮とは切っても切り離せないものがある。朝鮮戦争中も戦後にも存在したスパイやテロリズム、さらには言葉による攻撃や暴力行為などによって、南北がお互いを「あいつら」とか「けだもの」と呼び合うようになり、それが現代韓国の歴史の一部となって今でも続いているという側面はある。ただ・・・
韓国人の間には、北朝鮮が自分たちにとって現実の脅威であるという認識が抜き差し難く存在しているけれど、同じように抜き差し難く存在しているのが、北朝鮮が自分たちにとって「兄弟」(our brother)であるという感覚だ。
But this pervasive narrative of North Korea as a dangerous, existential threat coexisted with an equally pervasive narrative that it was “our brother”.
と筆者は言っている。大多数の韓国人は南北の統一を望んでいるし、2000年のシドニー五輪の開会式で韓国と北朝鮮の選手たちが並んで行進するのを見たときには(彼女自身も)涙が止まらなかったのだそうです。
しかしながら現在の韓国、特に政治の世界では、「北朝鮮=赤い恐怖(red scare)」という見方が一般的で、平壌に対して強硬姿勢を誇示しようとする傾向が強い。2014年には当時の保守政権によって左派政党が解散させられたことがあるけれど、その理由は彼らが「北」に対して友好的であるということだった。筆者自身の家族の中にもそのような考えの人間はおり、彼らによるならば、北朝鮮との対話を望む現在の文在寅大統領は「共産主義者」ということになる。
Haeryun Kangによると、今の韓国では保守層を中心とする「北朝鮮拒否症」が大衆の間に染み渡っている部分があるのだそうですが、そのせいもあって韓国の大衆が北朝鮮についての情報にアクセスすることが難しいのだそうです。例えば北朝鮮のサイトへのアクセスはブロックされているし、ソウルにある韓国唯一の北朝鮮図書館は、資料の外部への持ち出しを禁止している。さらに北朝鮮について「間違ったこと」(“wrong” things)を口にしたというだけで韓国政府によって監視され、国外追放され、刑務所に入れられたりということもある。
こうして社会全体に醸し出される「北朝鮮恐怖症」によって、韓国人が北朝鮮に対して「あまりにも大きな関心」(“too much” interest)を示すことを差し控えるようになってしまう。筆者によると、北朝鮮の挑発行為に対する韓国人の外見上の「無関心」は単なる無関心とは異なる。平壌からの脅威が日常化してしまい、その話題自体が退屈なものになってしまったということはあるかもしれないけれど、それだけではない。
(韓国人による)そうした無関心の背後には、長い間の恐怖の年月が存在するのだ。その恐怖は余りにも深い部分に無意識に潜在している。それに加えて信じられないような情報制限と現実に対する無知というものがある。
Behind the indifference lies also years of fear, deep and even subconscious, a glaring lack of information and unavoidable ignorance about what really is happening.
というわけです。
問題は、不安定要素でいっぱいの現在の世界で韓国人の「無関心」がどのような影響を持つのかということである、と筆者は言います。トランプは言っていることがしょっちゅう変わるし、中国の役割もいまいちはっきりしない、韓国の大統領はそれまでの保守路線の切り替えに躍起となっている・・・そうした中で北朝鮮が、これまでにないような頻度でミサイルの発射を繰り返している。このような状態では、物事が極端から極端に振れるということが起こりがちであると筆者は危惧している。
筆者が自分の母親に「北朝鮮のミサイルは怖いか?」(Are you scared by North Korean missiles?)と聞いたところ、母親は笑いながら「全然怖くない」(Not at all)と答えたのですが、それから一拍おいて母の口から出たのは
でもみんな死んじゃうのよね。
I guess we would all get killed, though.
という言葉であったそうであります。