NPO法人 アジア情報フォーラム

お仕事のご依頼・お問い合わせ

講演依頼、コラム執筆、国際交流企画など、ご相談は無料です

国際問題コラム「世界の鼓動」

インドネシア・ナショナリズムの行方

賛助会員 小川 忠

(筆者は国際交流基金のジャカルタ事務所長として独自に情報発信をしている)

独立70年のインドネシア・ナショナリズム

大合唱 2015年8月17日、この国は、建国の父たちが世界に向かって独立を宣言してから70周年の時を迎えていた。その日、日本語ミュージカルを演じる学生劇団en塾を中心に大学生ら500人が一斉に愛国歌「メラプティ」を日本語とインドネシア語で大合唱する、という催しに出席した。伸び盛りの国の青年たちのエネルギーに圧倒されたが(写真)、その一方で街に出てみると70年という節目の年であるにもかかわらず、思ったよりも淡々とその日を迎えているような印象を受けた。

この印象はインドネシア国民も同様だったようで、ジャカルタ・ポスト紙のベテラン記者(現編集長)エンディ・バユミは近年の独立記念日が今ひとつ盛り上がりに欠ける現状を「多くの人びとにとって独立記念日は、他の国民祝日と変わらない、たんに仕事がない日と考えられている」と書いていた(「ジャカルタ・ポスト」2015年8月16日付け)。

エンディは1957年生まれで、私とほぼ同世代。インドネシア独立は彼が生まれる10年以上前の話で、自身は実体験としての「独立」を知らない。
とはいえ彼が大人になるまでの1960年代から80年代には、自分たちの両親や周囲の身近な年上の人びとから、独立前、日本軍政支配、そして独立について生々しい話を聞く機会がいくらでもあった。毎年めぐって来る独立記念日には、村々や都市部の隣組でも様々な地域コミュニティーの催しがあって、そういう場で人びとは盛んに愛国歌を歌った。皆が共に歌うという共同作業は、新しく誕生した国民国家が人びとに「国民」意識を抱かせ、普及する上で重要な役割を担っていた。
しかし最近では、そうした愛国歌を歌う機会はめっきり減ってしまったという。政府がTVや他メディアを通じて国民に独立精神を鼓舞する試みを行っているが、上からの押し付けでは国民感情は盛り上がらない。ショッピング・モールの独立記念日セールスは愛国心というよりも商売の都合から組まれたものだ。国家に対して市場の力が強くなっているのは、グローバリゼーション時代において世界各地で見られる現象でもある。

エンディは、「愛国歌が独立精神を反映するものならば、今我々は新たな愛国歌を必要としているのかも知れない」と呟く。
「国歌を換えることはできない。しかしそれ以外の多くの愛国歌は、歌っている人が年々減っていることから考えるに、歌の中に盛り込まれたメッセージは過去において重要であったのだろうが、次第に時代遅れとなりつつあるのではないだろうか。」
独立を肌感覚で感じられない若い世代が、日本語でインドネシア愛国歌を歌うというen塾の試みも、愛国歌に新しい魂を注入する模索の一つと言えるかもしれない。

つまり、インドネシア独立は、身近な「過去」から、生乾きの「歴史」となり、さらにそれが正真正銘の「歴史」となりつつある。インドネシアの若い世代は、そんな時代を生きている。

新たな国民統合の源泉を求め

国民国家が成立するためには、一つの観念、つまりフィクションを必要とする。そのフィクションの根拠となるものは、「同じ血でつながっている」という民族ナショナリズム、「同じ言葉で分かりあえる」という言語ナショナリズム、「神の恵みを等しく受けている兄弟姉妹」という宗教ナショナリズムなど様々だが、インドネシアの場合は「同じ郷土で共に生きている」という領域ナショナリズムに基づいて、国家の基本設計がなされた。

「オランダの植民地支配を受けている東南アジアの列島に生きる同胞が共に協力しあって独立を獲得する。」これがインドネシア国家の観念であり、このフィクションを実体化させていく試みが、インドネシア独立から70年の歩みであった。

多くの場合、国民国家の誕生から性格形成が行われる国家の青年期までにおいては、「共通の敵、脅威」が存在しており、その存在が国民統合の求心力となってきた。日本の場合、帝国主義の時代にあってアジアに進出する西洋列強の存在が、尊王攘夷のスローガンを生み、身分・出自・所属集団を越えた統合が行われて中央集権の近代国家が誕生した。
インドネシアの場合、「共通の敵、脅威」はオランダ植民地体制であり、これを打倒し、オランダ植民地域内において「独立の志を共にする仲間」が自らの意思に基づき、自らの手で国家を建設し、自立共栄をめざすのが、インドネシア・ナショナリズムであるとされた。

実は民族的にも、宗教的にも、風土においても多様で共通性に欠ける人びとを、「同じオランダ植民地領域でその支配に苦しんだ」という理由のみを根拠に団結させ、一つの国を創造するというフィクションを人々に納得させるのは容易なことではなかった。このフィクションを補強するために、マレー語系「ムラユ語」を「インドネシア語」として共通言語することを確認した1928年「青年の誓い」や、1945年「唯一神への信仰」等を掲げた「パンチャシラ(建国5原則)」が考案された。独立後の国民教育や、メディアを通じたインドネシア語普及やパンチャシラ教育、そうした一環としての歴史教育、愛国歌斉唱は、国家による上からの国民統合の重要なツールであったといえる。そういう意味ではインドネシア独立とその後の歩みは、米国建国や社会主義国家ソ連の成立に匹敵する、壮大な人類史的試みだった。

しかし時は流れ、インドネシア国家を取り巻く環境は大きく変わった。もはや今の時代、オランダやオランダ人を「共通の敵」と考える人はいない。今を生きる若者にとって、インドネシア国家は闘争の末に獲得する高邁な目標、理念ではなく、生まれる前からそこにある当たり前の日常に他ならない。
また民主化が進み、政治意識・権利意識に目覚めた中間層が拡大するなか、国家による上からの一方的な政策の押し付けでは、国民は統治の正統性を認めなくなってきており、中間層自身が自覚し、納得する理念がないと、国民の結束を図るのは難しい時代になってきている。

あらためて原点に戻って国民統合、ナショナリズムの礎となるのは何かが問われる時代が来ている気がする。

1 2
2016年3月5日 up date

賛助会員受付中!

当NPOでは、運営をサポートしてくださる賛助会員様を募集しております。

詳しくはこちら
このページの一番上へ