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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
4月19日、リビア沖の地中海で不法移民を乗せた船が沈没して多数(約900人)の死者を出したことは日本のメディアでも広く伝えられましたよね。あの事故の4日後にブリュッセルでEUの緊急首脳会議というのが開かれ、この種の移民の斡旋に関わる業者の取締りを徹底するなど、地中海における監視・救助活動の予算を現在の3倍に増やすことでこのような事故の再発を防ごうとすることで合意したのでありますね。
この問題ついてオックスフォード大学難民研究センター(Refugee Studies Centre)のアレキサンダー・ベッツ(Alexander Betts)氏が4月26日付のThe Observer紙に寄稿、EUの首脳たちがこの問題を国境警備や不法移民の斡旋業者の取締りということのみを語っていて「助けを必要している難民のことを考えていない」(we need to be helping refugees in need)と痛烈に批判しています。
ベッツによると、今回の事故にはさまざまな背景があるけれど、最大の理由は、内戦、テロ、自然災害などの理由で定住場所を追われる人々の数が世界的に激増しているということです。地球規模で見ると、現在、displacement(それまで暮らしていた場所を離れざるを得なくなった人)の数は5000万人と言われている。第二次対戦以後で最大の規模だそうです。例えばシリアの場合、定住場所を追われた人の数は900万とされ、うち600万人が国内移住、300万人が難民として海外へ逃れている。行き先はトルコ、レバノン、ヨルダンなど。レバノンの場合、全人口の4分の1がシリアからの難民とされている。ただこれら3国にも受け入れの限界に来ており、入国を拒否するケースも出てきている。それがまた危険を承知で地中海経由でヨーロッパへ向かう人びとの数を増やしているというわけです。
これについては、簡単な解決策などない(there are no easy solutions)わけですが、ベッツの意見では、ヨーロッパの政治家たちは楽な解決へ向かおうとしている。例えばイタリアのレンツィ首相は「人身売買との戦い」(war on smuggling)を宣言、不法移民の斡旋業者の取締り厳しくすることを明らかしているけれど、この態度は不法移民が斡旋業者によって生まれているかのように錯覚している。この種の業者は彼らの「ビジネス」に需要があるから生まれるのであって、これらの業者を犯罪者扱いしても問題の解決にはならない。対麻薬戦争と同じで、取締りによって生まれるのは麻薬価格の高騰だけ。移民の斡旋業を取り締まると、当局の目を逃れる「危険な旅」が増えるだけであるとベッツは言います。
要するに地中海における危険な移民船の問題は、単なる国境警備で解決できるような事柄ではなく、難民や定住場所を奪われた人びとの保護を最優先にしないと永遠に解決しない。難民保護については「1951年難民の資格に関する条約」(1951 Convention on the Status of Refugees)というものがあって、各国とも自分たちの領土に到着・漂着した難民は救済しなければならないことになっている。しかしオーストラリア政府が打ち出した「太平洋対策」(Pacific Solution)という政策は、難民が自国の領域内に漂着することを防止するものであるし、ケニアではソマリアからの難民収容所の閉鎖が決定されたりしている。
ベッツによると、現在の救済体制では自国の領域内に到着した難民は救済するけれど、他国に到着したり、暮らしたりする難民についてはこれを支援する義務はない。複数の国が難民救済のための負担をシェアするという発想がないということです。となると、政情が不安定であったり、テロや貧困が横行している国、すなわち「難民を生む国」に近い国ほど負担が大きくなってしまう。難民の8割以上が「発展途上国」で暮らしている背景がここにあるということです。近隣諸国の負担を軽減ためには、紛争当事国および近隣諸国以外の国による支援が求められる。ヨーロッパ諸国はシリアやリビアの正常不安定に一役買っているのだから、難民救済の道義上の義務があることは言うまでもない、とベッツは主張しています。
アレキサンダー・ベッツは、いまから40年前の1975年にベトナム戦争が終わったときに発生した「ボートピープル」について語ります。ベトナム、ラオス、カンボジアなどからの難民が近隣諸国(マレーシア、シンガポール、タイ、フィリピン、香港など)へ向かったけれど、やがて行き先の国に追い返されて、溺死する難民も出てきた。いまの地中海と同じ状況です。それがテレビや新聞によって報道され、政治的リーダーシップと大規模な国際協力の姿勢が生まれた。インドシナ難民救済計画(Comprehensive Plan of Action:CPA)がUNHCRのリーダーシップの下に合意されたのは1989年のことだった。
ベッツはまたこの種の問題に対処するためには、故郷の国を出てきた人びとの「再定住(resettlement)」という発想が必要で、ベトナムのボートピープル発生のときにはカナダ、アメリカ、オーストラリアなどにはこの伝統が発揮された。が、この発想はヨーロッパには根付いていない。EU首脳会議で5000人の難民再定住計画が話し合われたが、シリアからの難民が300万人もいることを考えると、お笑い(absurd)としかいいようがない、とベッツは言っている。
もし現在の危機的状況に一筋であれ希望の光をもたらすとするならば、それは難民に対する一般大衆の見方を変えさせて難民のためのクリエイティブな解決策を見出すことから始めなければならないだろう。そしてそれは世界的な規模の解決策でなければならないだろう。そのために必要とされるのが政治的な勇気とリーダーシップなのだ。
If there is to be a silver lining to the current crisis, it stems from the opportunity for political leadership to reframe how refugees are seen by the public and to come up with creative solutions for refugees on a global scale. But that will take political courage and leadership.