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この日の公演の最後に登場したのが、海の神である「恵比寿」さま。「恵比寿舞」の始まりだ。
荒々しい「男性的」な山の女神とは好対照に、優しい笑顔をたたえた白面の「恵比寿」は豊漁のシンボルである。つり棹を握った恵比寿が、客席の少女に鯛の模型をもたせて、これを釣り上げようとかけ引きする。途中からジャワ舞踊の踊り子も引っ張り出すコミカルな所作に、インドネシアの観客たちは大喜びしている(写真)。舞台そでからこの様子を眺めていて、なんともいえない心地よさを感じ始めていた。
大津波に肉親を奪われて、もう海を見たくないと考える人も多いだろう。三陸海岸には、歴史のなかで何度も津波の襲来があった。海を禍のもと、恐怖の対象と考えてもいいはずだ。にもかかわらず、海の恵みを得て生計をたててきた漁民たちは、海をめでたきものと「恵比寿」に擬人化し、感謝の気持ちを忘れない。山と海に囲まれた自然のなか、大いなる何かに抱かれながら人は生かされているという感覚が鵜鳥神楽のなかに流れている。
護ってくれているのは「山の神」や「海の神」だけではない。かつてこの地で暮らしていた「ご先祖さま」、今はこの世にいない父、母、妻、夫、兄弟姉妹。そうした祖霊たちも、神楽を通じて今を生きる人びとにつながり、演者や観客を温かく見守っている。そういう安心感が、至福の感覚をもたらしているような気がする。
われわれは孤立した存在ではない。何かに見守られ、守護されながら生きている。われわれを守護する祖霊のなかには、震災で逝った人びとも含まれているだろう。そうした感覚が、東日本大震災で傷ついた人びとに、新たな生きる力を与えてくれている。復興は物質的指標のみでは測れない、スピリチュアルな側面を孕んでいることを実感する。