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東日本大震災4周年に先立つ四日前の3月7日、インドネシア中部ジャワの古都ジョグジャカルタで、岩手県普代村に伝わる鵜鳥(うのとり)神楽の公演を開いた。同神楽にとって長い歴史で初の海外公演だ。(写真 恵比寿舞)
この公演をプロデュースしてくれたのは岩手県立大学教員でインドネシア・イスラムを専攻している見市建准教授や民族音楽研究者の皆さんである。
鵜鳥神楽は、最近国の重要無形民俗文化財に指定され注目が集まっている。100キロ以上に及ぶ陸中沿岸地方を巡行する、全国的に珍しい「廻り神楽」の一つであり、系譜としては山伏神楽に属するとされている。岩手県は神楽の宝庫として有名だが、岩手県教育委員会が1995年から96年に行った調査では県内に422の神楽団体が存在し、そのうち山伏神楽の数は171と突出している。(NPO法人いわて芸術文化技術共有研究所HPより)
東日本大震災で大きな被害を受けた陸中沿岸の漁民たちに広く信仰されている鵜鳥神社に伝わる神楽は、海が荒れて休漁せざるを得ない漁民たちの冬の娯楽として長く親しまれてきた。正月から二カ月をかけて各地を巡行する。廻り神楽として、これまた有名な宮古市の黒森神楽とともに「北の鵜鳥、南の黒森」と並び称される。
陸中の沿岸地域に密着した鵜鳥神楽が、2011年の大津波によって巡行先の宿を破壊されたため、毎年行われてきた巡行を、2012年は休止せざるをえないかもしれない状態に陥ってしまった。伝統芸能が途絶えるかもしれない大変な危機的状態。とはいえ神楽の危機は、大津波に始まったわけでない。高齢化、若年層の減少、地域社会の疲弊という日本全国の地方に共通する現象が、神楽の次代の担い手となる若者、スポンサーである観客層を減らして、鵜鳥神楽の存立基盤を弱体化させていた。東日本大震災は、基礎体力を失いつつあった伝統芸能を直撃したのだ。
しかし厳しい大自然にもまれ、鍛えられてきた陸中の民が育んだ神楽の生命力は、消えていなかった。仮設住宅などに離れて暮らす地域の人びとが鵜鳥神楽を楽しみにしているという声は、自身も被災者である神楽衆を奮起させる強い動機となった。神楽は、離ればなれになった人びとを結びつけ、地域社会の結束を深めさせる貴重な機会を提供したのである。
(鵜鳥神楽については、以下のNHK新日本風土記アーカイブスを参照)
http://cgi2.nhk.or.jp/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004990501_00000
外部の支援を受けながら、巡行を再開し、他の民俗芸能との交流という新たな試みによって活力を取り返そうという試みもなされている。今回のジョグジャカルタ公演も、外部との交流を通じて、伝統芸能に新たな生命力を吹き込むきっかけとなるかもしれない。
公演地ジョグジャカルタは、ボロブドゥールやプランバナンといった世界遺産に近く、ジャワ文化の中心地として舞踊、影絵劇、バティック(ジャワ更紗)などの伝統文化の都と呼ばれている。これらジャワ文化は地域社会に密着し、今もジャワ民衆の生活のなかに息づいているのだが、2006年の中部ジャワ地震や2010年ムラピ火山の噴火は、地域住民に甚大な被害をもたらした。
復興・防災の道のりのなかで、民俗芸能が人びとの誇りを支え、地域社会の絆として機能している点など、鵜鳥神楽と共通することも多い。
同じような課題を背負い、汗を流している人びとが心通わせ、交流することで、モチベーションを高め、視野を拡げるきっかけになるかもしれない。と考えるとジョグジャカルタは鵜鳥神楽の公演にふさわしい地と言えよう。