NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

「ヨーロッパにモラル・ヒステリアは要らない」

賛助会員 春海 二郎

(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)

パリのテロ事件は「言論と表現の自由」に代表される、ヨーロッパの民主主義に対する挑戦であり、世界中が「私はシャルリー」(Je Suis Charlie)というスローガンのもとに団結しなければならない・・・というのが、最初に紹介したNew Yorkerのジョージ・パッカー、Foreign Affairsのロビン・シムコックスのエッセイの結論だった。一方、オックスフォード大学のブライアン・クラグ(Brian Klug)講師(哲学)がMondoweissというサイトに寄稿したエッセイは、これら強硬派の主張に真っ向から反対しています。クラグ講師のエッセイは

The moral hysteria of Je Suis Charlie

「私はシャルリー」というモラル・ヒステリア

となっているのですが、1月11日にパリで行われた反テロ連帯集会の熱気に触れながら、「もしあの集会で、誰かが、テロで殺された新聞社の犠牲者を茶化すようなプラカードを掲げていたら、どうなっただろうか?」と言っている。例えばテロの現場で犠牲者が血の海でのたうちまわりながら次のような言葉を叫んでいるプラカードです。

Well I’ll be a son of a gun!

冗談だろ!?

You’ve really blown me away!

まいっちまったなぁ、もう!

クラグ講師は次のような問題提起を行っています。

集会参加者は、そのようなプラカードを掲げた人物を言論の自由のために立ち上がった英雄と考えるだろうか?それとも大いに侮辱されたと感じるであろうか?

Would they have seen this lone individual as a hero, standing up for liberty and freedom of speech? Or would they have been profoundly offended?

テロの標的となった風刺新聞がからかったのはイスラム教だけではなく、キリスト教もユダヤ教も風刺の対象になったし、政治家、金持ち、人種差別主義者など、あらゆる階層・職業・主義主張が風刺の対象になっていた・・・として新聞社を褒め称える意見があるけれど、クラグ講師は

その新聞社は彼らが抱えるジャーナリストたちそのものを茶化しの対象にしたことはあるのか?表現の自由の名のもとに、結果も考えることなくイスラム教徒、ユダヤ人らを嘲笑する、あのジャーナリストたちである。つまりあの新聞社は自分たちを風刺の対象にしたことはあるのか?

Did they, for example, lampoon journalists who, in the name of freedom of expression, mock Muslims and Jews regardless of the consequences? Did they, in other words, ever satirize themselves?

と言っている。

で、最初の質問です。あの連帯集会において、集会そのものを茶化すようなプラカードを掲げ、バッジを身に着けていたら、集会参加者は「これこそフランス的」というわけで笑って過ごしたのであろうか?おそらくそのようなことはなかっただろう、とブライアン・クラグは言います。そのような人物は袋叩きにあったであろうというのが講師の結論です。

多くの大衆が今回の事件の犠牲者をフランスと言論の自由を守る英雄であると見なしてしまっている。クラグ講師によると、犠牲者を英雄扱いすることが偽善的(hypocritical)であるのが問題なのではなくて、”Je Suis Charlie”(私はシャルリー)と叫ぶ人たちが自分たちのやっていることを分かっていないことが問題であるということです。すなわち

彼らは表現の自由には制限というものがないという考え方にコミットしていると思っている。表現の自由は極めてデリケートな事柄で、神聖にして犯すべからざるもののシンボルであり、からかったり、馬鹿にしたりしてはならないし、パロディの対象にすることもできない。そのようなことをしたらタイヘンなことになる。

They see themselves as committed to the proposition that there are no limits to freedom of expression: no subject so sensitive, no symbol so sacrosanct, that it cannot be sent up, sneered at and parodied, consequences be damned. 

と彼らは思い込んでおり、そのことが「勇気」(courage)であり、自分たちとテロリストとの違いであると思っている。彼らは表現や報道の自由にも制限というものがあるということが分かっていない。

人間というものは、自分の心が分かっていない(けれど分かっていると思い込んでいる)場合、独善的な道徳的情熱によって押し流されてしまうものなのである。現在、ヨーロッパの地平線には暗雲が立ち込めている。そんな時には、このような独善主義ほど不必要なものはないのである。

When people don’t know their own minds – but think they do – they are liable to be swept away by self-righteous moral passion; which is just what we don’t need as the storm clouds gather on the European horizon.

とクラグ講師は言っています。

2015年1月26日 up date

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