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会員 高橋恒一(日本チェコ友好協会会長)
チェコは、欧州の中央に位置する人口約1000万人の小さな国であるが、同国の起伏に富んだ1000年の歴史は、まことに興味深い。
10世紀にボヘミア王国として建国。ボヘミア王国は、ボヘミア王が統治する独立した国家であるが、更に上の君主として神聖ローマ帝国皇帝を戴いていたのが、その特色だ。カレル4世が神聖ローマ皇帝であった14世紀後半がボヘミア王国の最盛期である。プラハは、当時、帝都として市街が整備・拡張され、大聖堂やカレル橋、カレル大学(神聖ローマ帝国の最古の大学)、などが相次いで建設され大きく発展した。
ルネッサンス期の欧州の宗教改革の先鞭をつけたのは、カレル大学教授だったヤン・フスだ。絶大なローマ・カトリック教会の権威に挑戦し、新教プロテスタントが生まれた同宗教改革を推進したマルチン・ルターらの運動より100年前に、フスはこの宗教改革に着手したが、これにもプラハの発展が背景になった。ちなみに明年2015年は、フスがコンスタンツ宗教会議で処刑されてから600年目に当たる。
16世紀前半にハプスブルグ家がボヘミア国王を継承。以後約400年間ハプスブルグ家の支配下に入ったが、工業国として発展を続け、1918年、欧州有数の工業国チェコスロバキアとして独立。チェコは、その後第二次世界大戦と冷戦という現代史の激動の中で苦難の道を歩むことになるが、その中でチェコ人にとり最大のトラウマとなったのが西部ズデーデンをナチス・ドイツに割譲を強いられた1938年のミュンヘン協定と1968年の「プラハの春」へのワルシャワ条約機構軍の軍事介入である。チェコは、この2つの歴史的体験を踏まえ、安全保障の基盤を明確に米国の軍事力を中核とするNATO(北大西洋条約機構)に置いている。
往時のチェコの強い影響力の名残と見られるのが通貨ドルの名称である。16世紀から17世紀にかけチェコの銀山で鋳造され、欧州中で使われた良質な大型銀貨「ヤーヒモフ・ターラー(ターレル)」の「ターラー(ターレル)」がドル(ドラー)の語源であるというのが通説だ。また、「ロボット」という言葉も、1920年代にチェコの作家カレル・チャペックが戯曲で初めて使った言葉である。
古都プラハを始めいくつかの都市の美しさは欧州の中でも圧倒的だ。国内には12もの世界遺産があり、とりわけプラハとチェスキークロムロフは、城と赤い屋根が並ぶ中欧中世の街並みがそのまま保存されている稀有の存在で、往時の雰囲気を楽しむことができる。
音楽、とくにクラシック音楽の愛好家にとって楽園であるといってもよい。「すべてのチェコ人は音楽家」といわれるほど音楽の盛んな国で、プラハにはチェコフィルとプラハフィルの二つの交響楽団と三つのオペラ座があり、毎年「プラハの春」国際音楽祭が開催されている。
ビールと温泉も旅行者にとって楽しみだ。チェコは一人あたりのビール消費量が世界一で、最高のビールが水より安く飲める。チェコビールの美味しさの秘密は、アロマ・ホップと呼ばれるチェコ独自のホップ(日本の高級ビールも使用)と美味しい水である。
プラハの西方、ドイツのとの国境近くに所在する「ボヘミアの温泉三角地帯」と呼ばれる三つの温泉も多くの保養客の人気の的だ。中でもカルロヴィ・ウ゛ァリーとマリアンスケー・ラーズ二ェは有名で、数世紀にわたり、多くの政治家や芸術家が訪れている。これらの温泉保養地で、温泉水を飲みながら、美しい自然の中を散策し、その歴史にタイムスリップしてゆったりとした時間を過ごすのも、豊かな文化を誇るチェコならではの楽しみである。
チェコと日本の関係にも少し言及しておきたい。1989年の「ビロード革命」以降のチェコにおける議会制民主主義と市場経済の進展を踏まえ2000年頃から、製造業を中心に日本企業のチェコ進出が活発化している。人口1000万人のこの国に約240社が進出し、約4万6千人の雇用創出に貢献している。EU加盟を果たしたチェコは、日本企業の「欧州の工場」としての役割を担い、重要な経済的パートナーとなっている。また、チェコの日本文化愛好者(特に狂言)の層の厚さとレベルの高さは、際立っており、「クールジャパン政策」に象徴される日本の文化外交においても重要な交流相手となりつつある。