NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

今日は何の日

古庄 幸一(理事)

五月二十七日。今年も横須賀の記念艦「三笠」で行われた「日本海海戦記念式典」(109周年)に出席した。「五月二十七日。今日は何の日?」と聞き、どれ位の人が「それは海軍記念日」と答えるだろうか。

明治三十八年五月二十七日、海軍大将東郷平八郎聯合艦隊司令長官率いる我が艦隊は、日本海海戦で帝政ロシアのバルチック艦隊を対馬沖に沈めた。この日を以って「海軍記念日」と定めた。昨年の本誌九月号で、記念艦「三笠」と世界の海軍の記念艦についての比較を書いたが、今回は日本海海戦の意義について考えてみたい。

我が国の戦後教育は、戦争は全て悪として、日清・日露戦争でさえその歴史的意義については学校で教えていない。筆者も日露戦争について教わったことで記憶に残っているのは、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」くらいで、出だしの数行は今でも覚えている。今年の日本海海戦109周年記念式典で、三笠保存会会長増田信行氏の式辞は素晴らしく、感動した。メモからその一部を紹介したい。

「・・・十八世紀の産業革命以来、列強は強大な軍事力を背景に植民地を求め世界に進出。十九世紀になると東南アジアに矛先を向け、阿片戦争に敗れた清国からは租借地などを獲得。列強が支配した植民地は実に世界の約八割強に達し、まさに弱肉強食の時代に日本という小さな国が明治という開化期を迎えていた。ロシアは義和団の乱に乗じて満州に大軍を駐留させるのみならず朝鮮半島にも触手を伸ばし南下していた。このままでは朝鮮半島はロシアに支配され、我が国も清国と同じ運命を辿るとの危機感を抱いた日本政府は、主権を守るため大国ロシアとの戦いを決断した。これこそ自存自衛の防衛戦争であった。・・・我が国は英国と同盟を結び、帝国陸軍は世界最強と言われたロシア陸軍と戦い苦戦の末、旅順を落とし、奉天会戦で勝利を収めた。一方帝国海軍は明治三十八年五月二十七日、将兵の高い士気と巧みな作戦により、バルチック艦隊を撃滅し、世界の海戦史上例を見ない大勝利を収めた。・・・この戦争により我が国は独立を全うし国際的地位を高め、我が国が勝利した。このことが、抑圧されていたアジア、北欧諸国などの多くの人々に独立国家建設の気運をもたらし、その後それらの国々が独立を勝ち取ったことは歴史の示す通りである。・・・」と、日露戦争の意義と世界に与えた影響を述べられた。そして我が国の今日の現状を愁え、記念艦「三笠」が日本人としての誇りと矜持を取り戻す出発点となることを祈念すると結ばれた。

昭和五十四年海上自衛隊の練習艦隊は、帝国海軍・海上自衛隊を通じて初めてスウェーデンのストックホルムに入港した。スウェーデンの新聞は第一面に「ロシアバルチック艦隊を敗った日本帝国海軍の末裔海軍来る」の、大見出しを躍らせていた事を思い出す。今でも北欧をはじめ多くの国には、「トウゴウ」「ミカサ」という名前の通りや商店がある。今こそ日露戦争特に日本海海戦の勝利とその意義を正しく伝えていかなければならない。

我が国は戦後、自分の国は自分で守るという、血を流す気概と覚悟を忘れ、拉致を許し、竹島や北方領土は奪われたまま今日に至った。更に国連憲章により各国に与えられた権限としての集団的自衛権すら行使できないと、現実から逃避をしてきた。しかし同じ敗戦国だったドイツは1950年、時のアデナウアー首相が、再軍備とNATOへの加盟の必要性を国民に訴え説得し、今や大いに世界の平和に寄与している。

記念艦「三笠」の後部甲板に立ち、艦尾に翻る軍艦旗を見ながら明治の先達に思いを馳せる。周辺の武力威嚇が強くなり「日の丸」では外交が進まなくなった場合は、最後の砦として日の丸から力を外に出す軍艦旗(今は自衛艦旗)の出番もある事を、政治家はもちろん国民も知らねばならない。そして真の抑止力を持つことこそが平和に通ずる近道と。憲法が残っても国が亡び、国民が飢えたのでは本末転倒ではと一言愚痴りたくなる。

 平成26年6月24日

2014年7月28日 up date

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