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賛助会員 春海 二郎
(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)
イラクという国がこれからどうなっていくのか、むささびなどには想像もつきませんが、現在ささやかれているのが、三つに分裂するということですよね。シーア派、スンニ派、そしてクルド人の3グループが三つのエリアで別々に暮らすということです。どこかウクライナを想起させますが、ロンドンのメトロポリタン大学で社会学を教えるサミ・ラマダーニ(Sami Ramadani)氏は6月16日付のGuardianに「イラクが分裂しているというのは作り話だ」(The sectarian myth of Iraq)というタイトルのエッセイを寄稿しています。この人はサダム・フセイン政権のイラクを逃れて英国へ政治亡命した学者です。
我々(イラク人)は何世紀にもわたって平和に共存してきたのであり、残忍な独裁者も要らないし、欧米による干渉も必要としていない。
We coexisted peacefully for centuries, and need neither brutal dictators nor western intervention
というのがエッセイのメッセージです。
イラクが英国からの支配から「イラク王国」として独立したのは1932年、それ以来さまざまな民族や宗派の人々が混ざり合って暮らしてきた。欧米人の中にはブレアのように、イラクに民主主義が根付くためには欧米の干渉が必要だと主張する人間もいるし、そもそも民主主義は根付かないのだからイラクのような国はサダム・フセインのような強力な独裁者が支配しない限り分裂は避けられないという人もいる。しかしラマダーニ氏によると
どちらの側も、イラクにおける宗教、部族、民族、国籍などが異なるコミュニティ同士が戦ったという歴史的な証拠を提示できていない。
Neither side, though, has yet produced historical evidence of significant communal fighting between Iraq’s religions, sects, ethnicities or nationalities.
とのことです。ブッシュとブレアの「民主主義コンビ」が乗り込んできてイラクの体制を破壊する前、国内の異なる部族や宗派が血で血を洗うような戦いに明け暮れてきたという証拠はどこにあるのか?と言っている。
2003年の英米の軍事介入以前でその種のことがあった例としては、1941年に起こったユダヤ人地区襲撃事件というのがある。しかしそれにしてから誰が計画したものなのかが未だに分かっていない。関連書類が英国政府の公文書館にあって未だに秘密事項となっているのだそうです。もう一つ、1950年~52年、バグダッドで起こったユダヤ教会爆破事件というのがあったけれど、これはイスラエルでの建国運動(シオニズム)の活動家が、これへの参加を拒んだイラク在住のユダヤ人を脅迫する目的で行ったものであることが分かっている。
今から約70年前の1943年、シリアの首都・ダマスカスにバアス党(Ba’th Party)という政党が誕生した。アラブ諸国が団結して社会主義を確立することを目指したもので、設立者の多くがシーア派のイスラム教指導者だった。
イラクにもバアス運動が広がるわけですが、ラマダーニ氏によると、イラクではサダム・フセインがバアス党の実権を握る1970年代後半までは政治の世界はすべて無宗教(secular)の世界であったのだそうです。国の運営を巡って宗教や宗派が指導権争いをするというのではなかった。ただイラクのバアス運動には最初からエリート主義的なところがあり、イラク国内のクルド族や非アラブ系の人々、それにアラブ系であっても貧困層を見下すようなところがあった。80年代になってフセイン政権がバアス党以外の政党を弾圧するようになると、教会やモスクなどで政治集会が持たれるようになり、宗教組織が政治活動にも関与するようになる。
ただ、イラク国内における部族間、宗派間、人種間の対立を強調しすぎると現実のイラクが見えなくなる。例えばバグダッドの人口は約800万ですがその中には100万人近くのクルド人がいる。イラク第二の都市、バスラの人口(約350万)の2割はスンニ派であり、イラクでも最もスンニ派が多いと言われるサマーラにはシーア派の聖堂(shrine)が二つあり、いずれも過去数世紀にわたってスンニ派の聖職者が護持している。イラクにおける虐げられた存在としてクルド族のことを挙げる専門家が多いけれど、サミ・ラマダーニ氏によるとクルド弾圧を行ったのは政府(特にサダム・フセインの政権)であって、普通の国民の間では反クルド族政策は決して人気のあるものではなかった。
イラクという国が現在の危機を乗り切って存在し続けることができるかどうかは予断を許さない部分はあるけれど、ラマダーニ氏は、「シーア派、スンニ派、クルド族という3つのグループに分割統治させることが唯一の方法だと主張する人は、イラクという国の成り立ちが分かっていない人たちだ」と決めつけています。そのようなことをすれば、3つの地域のどれもが狂信的指導者によって牛耳られることになるということです。そうなると・・・
イラクはどの地方も人種的・宗教的な混合社会なのだ。特にバグダッドとイラクの中央部はそうである。そのような国を(人為的に)3つに分断したら何が起こるのか?三つの地域間における永遠の戦争である。そうなって得をするのは石油会社、武器商人、そして将軍様たちだけなのである。
Given how ethnically and religiously mixed Iraq’s regions are, particularly in Baghdad and central Iraq, a three-way national breakup would be a recipe for permanent wars in which only theoil companies, the arms suppliers, and the warlords will be the winners.
とラマダーニ氏は訴えています。