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まず日本にとってなじみの薄いラマダーンについて、基礎知識をおさえておこう。ラマダーンとは、イスラム暦において第9番目の月の名前であり、この1ヶ月の期間、イスラム教徒には断食が課せられる。『イスラーム世界事典』(明石書店)で、日本を代表するイスラム研究者小杉泰、片倉もとこは以下のように解説している。
イスラーム式の断食は、日の出の2時間前から日没まで飲食をいっさい断つ。性的交渉も許されないので「斎戒」と訳すこともある。水の一滴も許されない。ただし、夜は飲食・性交いずれもさしつかえない。これを29日または30日続ける。断食の目的は、飢えの苦しみを体験して貧困の苦しみに対する想像力を育成することだという。さらにあらゆる面で信仰行為を強めることが奨励される。
では、インドネシアのイスラム教徒自身は、ラマダーンの意義をどう捉えているのか。プカロンガン大学のアブドゥラ・アリ講師が「ジャカルタ・ポスト」紙(7/12)に「ラマダーンの精神的、社会的輝き」と題する寄稿で、なぜ1か月も空腹やのどの渇きの苦行に耐えないといけないのか、という問いに、以下の通り答えている。
第一に精神的な側面から述べると、空腹、渇望に耐えることは自己欲望との戦い(ジハード)であり、その行為は聖戦(ジハード)に参戦することと変わらないくらいの見返りがあるのだ。逆に満腹状態にあることは、意識、感覚を鈍化させて精神の浄化、悟りの妨げとなる。
第二に社会的な側面からは、断食を通じて、社会的に恵まれない人びと、飢えている人びとの苦しみを理解し、彼らへ思いいたすことで、社会を改革していく力になる。施しを通じて善行を励めば、社会の一体感を醸成することにつながり、断食の価値はさらに高まると考えられるのである。
このようなラマダーンの精神的、社会的意義を理解し、最大限これに協力していこうというのが、インドネシア邦人社会の基本姿勢だ。ジャカルタ・ジャパン・クラブが会員宛てに配布している「断食中の配慮事項等について」という文書には、「(断食者の前で)平気で公然と飲んだり食べたりすることは人間として一般常識が疑われる」「(断食で仕事の能率が低下しても)宗教冒涜するような形での注意や苦情を避けましょう」「生理中の女性は断食に参加することは許されないので、断食をしないからいい加減な人であると判断したり、理由を尋ねたりしないこと」等の注意が並んでいる。かつて当地の社会慣習、文化に対する理解不足から激しい反日感情が発生したという苦い経験(1974年1月の田中首相ジャカルタ訪問時の反日暴動)から学んだ教訓である。
ところが前述の寄稿で、アブドゥラ・アリ講師は、断食者の苦行への配慮を説く立場からすると、やや予想外なコメントをしている。
「今そしてこれからにおいて必然となる断食の価値がある」と彼はいう。すなわち「断食は健康のため」という第三の意義である。富裕層、中間層において、栄養過多から健康を害する人びとが増えている。宗祖ムハンマドや現代医療研究者の言葉を引用しながら、アブドゥラ・アリ講師は健康増進という観点から断食のダイエット効果を強調しているのだ。インドネシアの経済成長がもたらした社会変化を読み取る兆しが、この辺にも転がっているようだ。
前述のアブドゥラ・アリ講師のコメントを読みながら考えたのだが、現代インドネシアのラマダーンのあり様のあちこちに、「厳格な禁欲的宗教」「イスラム教義は社会発展の妨げ」「男尊女卑」という長年イスラムにまとわりついている強固なイメージを解体させていく突破口が開いているのではないか。