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ところで去る5月、拙稿「パブリック・ディプロマシーの新しいフロンティア」を掲載した論考集「関係構築、ネットワーク、協働型パブリック・ディプロマシー」(Relational, Networked and Collaborative Approaches to Public Diplomacy)が米国ルートリッジ社から刊行された。筆者にとって、2度目の英語で書いた著作になる。同書刊行が意図するのは、911以降米国の対中東パブリック・ディプロマシーの頓挫に見られるように、海外市民に対する一方的な価値発信型パブリック・ディプロマシーの限界を示し、双方向の関係を構築し、対等な立場でのネットワークを形成し、国際公共益のために共に協働していく、新しいパブリック・ディプロマシーの意義を説くものである。
拙稿で、世界の、特に近年パブリック・ディプロマシーへの関心を高めるアジアの外交関係者に訴えたかったことがある。戦前・戦中の失敗への反省から、双方向性を重視し、心と心の交流を大切にしてきた戦後日本の国際文化交流は、関係構築、ネットワーク、協働型パブリック・ディプロマシーの一つのモデルとなりうるということである。莫大な資金を投じ、自国の価値や文化を一方向的に発信して、短期的に成果をあげえても、受け手の主体性を軽視していては、やがてはその効力は落ちてくる。双方向型の関係構築、ネットワーク、協働型の交流をいかに定着させていくか、という視点を忘れてはならない。
そうした文脈でインドネシアのパブリック・ディプロマシーを考える時、バリの伝統舞踊やジャワのバティックはもちろん魅力的だが、それと変わらぬぐらいに重要な外交資源となりうるのが、加速化し、多様・多層化する国境をこえた市民同士の交流である。明るく前向きなインドネシアの若者たちは、この国の対日パブリック・ディプロマシーの切り札だ。
そんなことを考えたのが、EPAに基づくインドネシア人看護師・介護福祉士候補者に対する予備教育の閉講式に出席した時だった。国際交流基金は看護士・介護福祉士候補者(多くは日本語知識ゼロ)に対して、来日前6か月の日本語予備教育を実施している。来日後の生活・研修をスムーズに始めるための基礎語学力を身につけさせるため、日本人とインドネシア人がチームを組む講師陣が懸命の指導にあたる。同じ目的に向かって切磋琢磨してきた講師と候補者たちが、6か月の山あり、谷ありの道のりを乗り越えて、予備教育の閉講式で涙を流して抱き合って喜びあう姿は感動的だった。候補者の訪日に際して壮行会を開いてくれた鹿取インドネシア大使は、彼らを「日本・インドネシア友好関係の未来を担う大切な人材」と呼ぶ。これから日本に向かうインドネシアの若者たちに幸多かれ、と祈らずにはいられない。
人なつこく、年配者を大切にする国から来た彼らは、日本社会で多くの人々を癒し、勇気付け、感動を与える存在となりつつある。日本におけるインドネシアの好感度を高める上で、少なからぬ貢献を果たしているのだ。残念ながら国家試験に受からずインドネシアに帰国した人たちのなかにも、日本で学んだ技能や日本語学を生かし、医療現場や日系企業等で活躍する人も少なくない。この制度から新しい知日層が形成されつつある、と言えるのではあるまいか。
EPAに基づく外国人看護師・介護福祉士候補者の受け入れは、もっぱら労働政策という観点からの、制度の是非をめぐる議論に傾きがちであるが、日本・インドネシアの紐帯を強固なものとする市民間外交という観点からも評価が必要なのではないだろうか。インドネシアにとっても、日本にとっても、交流の若き担い手たちは、パブリック・ディプロマシーの貴重な資産なのである。