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日中双方がともに利益を得ることが出来る、ギブ・アンド・テイクによる是々非々の「互恵関係」(これを双方は「戦略的互恵関係」と名付けてきた)が発展すること自体は歓迎されるべきことである。日中双方が衝突を回避しつつ、妥協可能な分野について妥協し、対話と交流を維持することが望ましいことは言うまでもない。外交事務に携わる人々にとって、双方が面子を保ちつつ妥協できるぎりぎりの方策を模索することが期待されるのは当然であろう。ただし、その場合にも、領土、主権を犠牲にしてまで妥協を急ぐ必要は毛頭ない、と言わねばならない。
日本が期待する中国の姿は、国際協調路線をとり建設的役割を果たす責任あるアジアの大国の姿であろう。米国人の言う「ステーク・ホールダーとしての中国」、つまり「責任ある利害関係者」の考え方はこれに近い。はたして現実の中国はどうか。国際協調路線を歩もうとしているのか、それとも覇権主義の道を歩もうとしているのか。特に最近の東シナ海や南シナ海の行動を見る限り、勢力拡張への大国主義の道を歩み、ナショナリズムと軍事力の威圧を背景に、ますます覇権主義に傾斜しつつあるように思えてならない。中国の軍事費は公表されているだけで、過去約20年間にわたり、毎年二桁台で増強されてきた。ここに言う「覇権主義」とは、国際的ルールを無視し、軍事力を背景に威圧的姿勢をとることである。
78年に締結された日中平和友好条約交渉の最大の懸案事項は「覇権反対条項」(第2条)の扱いであり、その交渉は数年間に及んだ。今日の時点で、「双方はアジア太平洋において、いかなる国の覇権にも反対する」との趣旨を盛り込んだこの条項が、はたしていぜん有効なのか、あるいは単なる「冷戦期の遺物」だったのか、日中双方の間で虚心坦懐に議論してみてはどうだろう。そんなことを考えるのは、私自身、若いころあの交渉に長年、直接・間接に携わった一人だったからかもしれない。鄧小平の尖閣棚上げ論はよく知られているが、同人が「もし将来、中国が覇権を求めるようなことがあれば、日本がそれに反対してほしい」という趣旨の発言を行ったことを記憶している人はもうほとんどいないようだ。思い起こせば、80年代、解放軍総参謀長は対ソ連を念頭に置いたのであろうが、公然と、日本はGNPの3%(つまり、当時の防衛費の3倍)を日本防衛のために使ってほしい、と発言していたものである。