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尖閣諸島についてのいわゆる「棚上げ論」をどうみるか。棚上げしようという合意はこれまで日中間に存在したことがない。ここにいう棚上げとは、双方が問題の存在することをともに認め、その解決を先に延ばすことに合意することである。最近、公表された外交文書を見てもそのことは明らかである。1972年、日中国交正常化交渉の際、田中首相と周恩来総理が尖閣について交わした言葉は、田中が「尖閣のことをどう思うかーー」と言って水を向けたら、周が「石油が出るから問題になった。今は話したくない。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない。」という趣旨のごく短い会話に終わっている。それ以上でも、それ以下でもない。これは、問題が存在するから、その解決を先送りすることで双方が合意した、といういわゆる棚上げではない。
また、1978年、日中平和友好条約批准書の交換のため来日した鄧小平副首相と福田赳夫首相の間の尖閣諸島をめぐるやりとりについては、鄧の側から「今回の会談のような場に持ち出さなくても良い問題だが、自分たちの世代には知恵がないから次の世代に任せたい。」との趣旨の発言があり、これに対し、福田首相は一切応答していない。後で、鄧は記者会見の場で、今の世代は知恵がないので次の世代に解決をまかせたい、と述べつつ、「こういう問題は一時棚上げしても構わないと思う。10年棚上げしても構わない」と発言している。
以上の二つの会話を読んでも、日中間において領有権をめぐり問題が存在するから、これを後日の協議にゆだねるという合意――つまり、棚上げのための合意――は存在しないのである。鄧小平の記者会見における発言は、きわめて巧みな言い回しではあるが、あくまでも一方的な発言にすぎない。
日本の立場は、尖閣諸島を日本の固有の領土として有効に支配してきたのであり、そもそも同諸島をめぐり解決すべき領有権の問題は存在しない、との点で一貫している。そのことは、たとえば、1975年10月、日中平和友好条約交渉をめぐる国会審議における宮沢喜一外相(当時)の発言からも明白に読み取れる。同外相は野党議員よりの尖閣に関する質問に対し、「いわゆる棚上げという形で日中の条約交渉が行われているという事実はございません。」「尖閣諸島は明治28年以来、わが国固有の領土となっており、また、現にわが国の有効な施政権のもとにございます」とくりかえし、明言している。(註1)なお、1979年5月、外務委員会において園田外相(当時)は、現在尖閣諸島が日本の有効支配下にある旨述べつつ、この状況を「誇示して相手をことさら刺激する必要はない」との趣旨の発言を行っているが、この発言も棚上げ説を肯定するものではない。(註2)このように棚上げが存在しないことは70年代から一貫して日本政府が国会の場においても明らかにしてきたことである。