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国際問題コラム「世界の鼓動」

尖閣領有権に「棚上げ」はあったか?

実際に、日本が台湾を統治した50年間(1895~1945)について言えば、台湾と澎湖諸島は台北にあった台湾総督府の管轄下におかれたが、尖閣諸島は直接、沖縄県の南西諸島の一部として沖縄県の管轄下に置かれ、台湾、澎湖諸島とは異なった扱いになっていた。

最近、中国政府は「カイロ宣言」(1943年)や「ポツダム宣言」(1945)を引用し、日本がこれら宣言を受け入れた結果、尖閣諸島は「台湾の付属島嶼」として、台湾、澎湖諸島とともに中国(中華民国)に返還された旨主張している。たしかに「カイロ宣言」には「台湾、澎湖島の如き日本国が中国人より盗取したる一切の地域は中華民国に返還される」との規定があり、「ポツダム宣言」(第8項)には「『カイロ宣言』の条項は履行せらるべし」との趣旨の規定がある。しかしながら、両宣言において、尖閣諸島が「台湾の付属島嶼」に含まれると当時の連合国側(中華民国を含む)が認識していたことを示す証拠は一切存在しない。

1951年9月に調印されたサンフランシスコ平和条約は、第2次世界大戦後の日本の領土を法的に確定したが、そのなかに、日本は日清戦争により中華民国から割譲を受けた台湾および澎湖諸島の領有権を放棄する旨の規定(第2条(b))がある。しかし、尖閣諸島はこの規定のなかの「台湾の付属島嶼」には含まれていない。もし仮に当時、尖閣諸島が「台湾の付属島嶼」であると認識されていたなら、米国がこれを沖縄の一部として施政権下に置くことはありえなかったはずである。この点でも中国の言い分には法的根拠がない。

なお、サンフランシスコ平和条約発効と同時に、日本と中華民国(台湾)の蒋介石政権との間で締結された日華平和条約(1952年4月)が交渉された際にも、尖閣諸島について議論が行われたという記録は一切ない。

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2013年6月29日 up date

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