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国際問題コラム「世界の鼓動」

尖閣領有権に「棚上げ」はあったか?

1920年、石垣島の住民がこの海域で遭難した中国人漁民を助けたことがある。これに対し、当時の「中華民国駐長崎領事」は署名・捺印入り公文の感謝状の中で「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」における日本側救助に感謝する、と特記している。そして「救援において仁を以て行った」と石垣島島民の名前を挙げている。 さらに、中華人民共和国(1949年10月成立)について言えば、1953年の「人民日報」や1960年の中国発行の「世界地図」には尖閣諸島が日本領土であることを明記したものがある。最近、時事通信社が独自に入手した1950年頃の中国政府部内の会議の記録には、当時の中国政府関係者が「尖閣諸島」という呼称を使用し、同諸島が沖縄の一部を構成するものと認識していたことが示されている。

沖縄が第2次大戦後、一時米国の施政権下に置かれた時、尖閣諸島の一部の島嶼は米軍の射爆場として使われたことが知られている。その後、1972年に沖縄が日本に返還された時、尖閣諸島も沖縄の一部として日本に返還された。今日、米国が「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲である」と明言しているのは、そのような歴史的経緯に拠っている。

中国が「日本は戦争で尖閣諸島を盗んだ」という時、それは日清戦争(1894年8月~1895年4月)のことを指すものと思われる。日清戦争開始のどさくさに紛れて、日本がこれを「強奪した」と言いたいのであろう。しかし、日清戦争開始に至る少なくとも約10年間にわたり、尖閣諸島が「無主の地」として清国の影響が全く及んでいなかった事実、さらには日本が閣議決定という行政措置を取るなど国際法上適正な手続きを踏み、下関条約締結以前にこれを日本の領土に編入した事実を故意に無視している。

そして、日清戦争の終結後の下関条約(1895年4月)においては、日本が中国から割譲を受けたのは、台湾、澎湖諸島のみであり、尖閣諸島は含まれていない。下関条約締結の過程で、尖閣諸島が討議されたという類の記録も一切ない。日本政府による上記の「先占」は下関条約締結の3か月前のことである。

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2013年6月29日 up date

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