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理事長 池田 維
(元(財)交流協会台北事務所代表、 元外務省アジア局長)
目下、中国の公船が尖閣諸島沖の領海内に頻繁に侵入し、日中間の緊張が高まっている。それに加え、中国外務省の報道官は本年4月26日、尖閣諸島を「核心的利益」に位置付けているかのような発言を行った。中国がこれまで、台湾、チベット、新疆ウイグルなどの問題に限定的に使ってきた「核心的利益」なる用語に、婉曲的な表現ながらも尖閣諸島との関係でここまで直接的に言及したのは、これがはじめてのことである。
ここで、あらためて尖閣の領有権について考えてみたい。
日本政府は1895年に閣議決定により、尖閣諸島を領土に編入して以来、法的にも、歴史的にも日本固有の領土である、との一貫した立場をとってきた。他方、中国、台湾(中華民国)が自分たちの領土である、と主張し始めたのは、1971年以降のことである。つまり、中国も台湾も76年間にわたり、尖閣諸島が日本の領土であることに異議を申し立てたことはなかった。
1960年代末に、バンコクにあった国連の地域機関(ECAFE)がこの海域の海底調査を行い、海底に石油が豊富に埋蔵されている可能性が高いとの報告を公表した後、71年、まず中華民国(台湾)が、続いて数か月後に中華人民共和国が尖閣の領有権を主張し始めた。
日本は1885年以降、約10年間にわたり沖縄県当局を通ずる等の方法により再三尖閣諸島を実地調査して、これら島嶼に人が住んでいないこと、さらに当時の清国の影響が及んでいないことなどを慎重に確認する手続きを踏んだ。そのうえで、1895年1月に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入した。このような行政行為は、国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致している。(「先占の法理」)。当時開国して間のない日本は清国との力のバランスを考え、臆病なほど慎重に行動せざるを得なかった。そのことは、日清戦争開始前の1891年に清国北洋艦隊の巨艦(鎮遠・定遠)が日本を訪問した際の日本側の畏怖にも近い反応からも容易に想像出来よう。
日本が尖閣諸島を中国から「戦争で盗んだ」とする最近の中国の主張は、無知によるか、あるいは虚偽の捏造によるものと思われる。実際に、1895年1月以降今日までの間、米国の施政権下に置かれた一時期(1945~72)を除き、尖閣諸島は一貫して日本の有効な支配の下に置かれてきた。尖閣諸島をめぐる環境変化に応じ、ある時期にはアホウドリの羽毛採取のために人々が居住し、また、ある時期には、鰹節工場が作られ、200人以上にのぼる人々が居住していたこともある。このように、日本人が尖閣列島に居住した時期は、基本的に1895年以降、第2次大戦直前まで続いた。