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国際問題コラム「世界の鼓動」

わが国のミャンマーに対するODAについて ― その経緯と現状

1.初期の対ミャンマーODA

わが国のミャンマー(ビルマ)への資金協力は「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」(1954年)に始まり、経済協力としての資金協力は、円借款が1968年から、無償資金協力が1975年から供与されるようになった。なお、円借款の実際の貸付契約(Loan Agreement)がJICA(当時の海外経済協力基金、OECF)とビルマ側で結ばれたのは1970年に入ってからであり、第1号の対象案件は「工業化4プロジェクト(農業機械、電気電子製品、軽車両、トラック・バス)」であった。円借款全体でみると、供与した国・地域の数は2011年度末で100を超えているが、ODAとして最初の貸付契約が結ばれたのは1966年韓国に対するもので、その後、台湾、インドネシア、マレーシア、カンボジア、タイに供与され、7番目の国として対象となったのがビルマ(ミャンマー)であった。

このように、ミャンマーはわが国の円借款の供与先としては、最も長い歴史を持つ国の一つであり、途中、中断期間があるものの、40年以上の長きにわたるお付合いのある国である。

 

(円借款の対象事業)

1970年の貸付契約締結で具体的に始まった円借款は、1987年に至るまでの18年間、3回ほどの例外を除き毎年供与された。その間の主な対象事業を見ると、商品借款(国際収支支援、工業化4プロジェクト)、電力関係(バルーチャン水力発電所改修、ガスタービン発電、首都配電網等)、農業(灌漑、精米工場等)、インフラ整備(首都国際空港拡張、鉄道近代化、ティラワ造船所建設(エンジニアリングが対象)、国際通信拡充等)等であるが、鉱工業セクターについてみると上記工業化4プロジェクト以外に、海底油田試掘、石油精製所、苛性ソーダ、紙パルプ、工業医療用アルコール、砂糖、米ぬか油、セラミック製品等の製造工場建設があり、当時のビルマ政府が工業化に重点を置いていたことが窺える。

 

円借款を持続的成長への起爆剤として巧みに活用した他のASEAN諸国、例えば、タイ、マレーシア、ベトナム等で、円借款利用初期の段階においては、電力および道路・港湾を含む運輸プロジェクトに重点的に配分していたのと比較すると、工業化を重視した当時のビルマの政策の特異性が明らかである。

 

(無償資金協力と技術協力)

1975年度に約7億円の規模で始まった対ビルマ無償資金協力は、1988年度まで毎年供与されたが、その間の主な事業は「食糧増産援助」で、1977年度以降ほぼ毎年供与され、合計236億円に達している。これはこの間の無償資金協力合計約941億円の約25%に当たる。この他、比較的大きな事業としては、冶金研究、製薬技術開発、首都総合病院建設、果樹・野菜研究開発、都市飲料水開発、青少年教育センター建設、灌漑技術センター建設、林業開発訓練センター建設などがある。

2.米国、EUによる経済制裁期のわが国のODA

1988年の軍事政権成立を機に米国が、1990年の状況(総選挙でスー・チー氏率いるNLDが圧勝したにも拘わらず軍事政権は議会を招集しなかった)を基にEUが経済制裁を発動した。日本は1987年度以降、新規の円借款供与を停止したため、それ以降、最近に至るまでのODAは無償資金協力と技術協力に絞って実施されることとなった。

1990年度から2011年度までのわが国のミャンマーに対するODAはほとんど無償資金協力である。そのなかで、直近10か年(2002~2011年度)の実績は図表1のとおりである。内容についてみると、一つ一つの案件の金額は比較的少額であるが、主要な対象事業としては、バルーチャン第2水力発電所改修、村落における小規模橋梁・桟橋建設、乾燥地村落における給水等のインフラ整備の他、累次にわたり継続的に支援を行っているものに乾燥地帯植林計画、母子保健サービス改善、人材育成などがある。なお、研修員受入れ、専門家派遣、調査団派遣、機材供与、留学生受入等から成る技術協力は2003年度以降年間約20億円の規模で推移している。

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2013年6月14日 up date

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