NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

変貌するインドネシアの大学

ナショナリズムの苗床

 国名をその名前に冠するインドネシア大学は、インドネシア・ナショナリズムの発展と深い関わりをもってきた。インドネシア・ナショナリズム研究で大きな業績を残した土屋健治は、『インドネシア思想の系譜』にて以下の通り述べている。

 ナショナリズムは先ず植民地官僚制の展開と重なり合うようにして、その官僚制の調達源とされた原住民の知的エリートの中から、近代的学校制度を培養器とし植民地都市を舞台として成立した。初期のナショナリストは、すべて高等教育を受け、オランダ語に習熟し、都市生活になじみ始めた知識人、「モダンな」青年たちにほかならなかった。新設の原住民官吏養成学校と医学校がその苗床であった。

 インドネシア大学の起源は、1849年に設立されたジャワ医師養成学校である。幾度かの制度変更を経たこの医学校(STOVIA)から、インドネシア初の民族主義団体ブディ・ウトモが1908年に結成されている。

 インドネシア・ナショナリズム誕生を担ったという輝かしい出自にも関わらず、現在のインドネシア大学は、教育・研究機関として社会の期待に応えていないという批判は根強い。独立後のインドネシアで大学の健全な発展に障害となったのは、独立運動を担う指導者を輩出し、社会を動かすエリート養成機関であったがゆえに、大学と為政者の関係が近すぎて、容易に政治が学内に持ち込まれ、加熱した学生運動が、落着いて研究、勉学に励む環境を侵食していったことをあげることができよう。

 さらに1965年の「9月30日事件」を転機に誕生したスハルト軍部独裁体制は、左翼学生運動を壊滅させ、政府の統制が大学キャンパスの隅々まで拡がった。開発政策を推進するスハルト政権は、開発に資する技術者、研究者を育成するために新しい大学をインドネシア各地に建設するなど高等教育の基盤を作った光の側面と、政権を批判する研究者や学生を取り締まり、自由な言論活動を認めない影の側面を有する高等教育政策を実施した。研究者が狭い「象牙の塔」のなかだけに閉じこもり、社会との関わりを避ける風潮は、スハルト時代に色濃くなっていった。

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2013年5月20日 up date

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