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豪州国際協力庁スコット・グッゲンハイム社会政策アドバイザーは、国際比較において、他の開発途上国や中進国と比べて成果をあげていないインドネシア高等教育の内実を明らかにしている。彼が引用するSCImago Journal & Country Rank 統計によれば、1996年から2011年までの15年間にインドネシアで発行された科学に関する出版数は16139点で、世界63位である。この数はシンガポール126881、マレーシア75530、タイ69637にかなり差をつけられているし、エジプト75610、パキスタン47443、ナイジェリア35223よりも下位にある。ちなみに1位米国614万、4位日本は160万点である。
社会科学系研究者の活動も低調であったと言わざるをえない。社会科学引用指標(SSCI)から見ると、一国に関する出版された研究の総数における自国研究者の割合は、インドネシアは12%で、フィリピン15%、中国21%、インド25%、タイ27%と比べて、かなり寂しい数字だ。
社会的な支援を知的・学術的な営為へ振り向けるゆとり、つまり経済的な豊かさが研究教育活動の向上をもたらすという説は、ある程度は説得力があると思われるが、グッゲンハイムが引用するISIデータベースでは、一人当たりGDPがインドネシアより低いベトナムやフィリピンのほうが、インドネシアより研究活動が盛んという結果が出ている。すなわちインドネシアの高等教育の停滞は経済指標だけでは説明できない、この国固有の事情があるものと考えられる。
その際、この国の高等教育がいかなる歴史を経て発達してきたか、今一度ふり返ってみることも意味があるだろう。「学の独立」や「大学の自治」という言葉に我々は慣れ親しんでいるが、大学は社会から隔絶された存在ではありえない以上、大学と社会の間には依存・協調・摩擦・強制等の相関関係が存在し、両者のあいだにはある種の政治性が常に介在している。明治以降の近代日本は、近代国家を建設するという国家目的のために、帝国大学を全国や植民地に開設して、知のネットワークをはりめぐらせた。戦後の沖縄を27年間にわたって支配した米国軍政は、反共、沖縄の本土復帰熱の抑制、軍政を下支えする人材育成のために沖縄初の大学、琉球大学を開設した。大学の研究者や学生は、為政者の思惑に唯々諾々と従ったわけではない。多様な主体的な対応が大学側から為されたことも見逃せない。インドネシアはどうであったか?