NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

ヘルスケアとソシアルケアの垣根

賛助会員 春海 二郎

(筆者は長年、在日イギリス大使館に勤務し、イギリス関係情報を独自に発信するサイト「むささびジャーナル」の運営をしている)

第二次大戦後、福祉社会の確立を目指した英国にとって最も重要な制度となったのが、無料で医療サービスを受けることができる「国民保健制度」(National Health Service: NHS)であることは良く知られているけれど、いまそのNHSが時代の要請に合わなくなっているとして、その構造を根本的に変えるべきだという報告書が発表されて話題を呼んでいます。King’s Fundという医療関係のthink-tankが組織した”Future of Health and Social Care in England“という委員会がまとめたものなのですが、9月4日付のGuardianによると、最大のポイントは

ヘルスケアとソシアルケアは必要性に応じて根本的に作り替えられなければならない。

Health and social care must be radically reshaped around need

という点にある。”reshaped” という言葉を私は「作り替える」と訳しているのでよく分からないかもしれないのですが、要するにこの二つの「ケア」に対するNHSとしての態度を改める必要がある、と言っている。

ここでいう「ヘルスケア」とは病院で治療を受ける病気にかかった患者に対するケアのことであり、例えばガンとか心臓病などがこれにあたる。「ソシアルケア」というのは、例えば病院で治療を受けるということではなくケアホームのような施設で介護される高齢者とかそのような施設に入らなくてもコミュニティとかボランティアがケアにあたったりするケースで、典型的なのが認知症です。

King’s Fundの報告書が根本的な作り替えを主張しているのは、この二つの種類の「ケア」に対する国の予算の割り振り方です。いまの制度では医療サービスとしてのヘルスケアは基本的に無料なのですが、ソシアルケアは基本的に(例外はあるけれど)有料です。なぜこうなるのかというと、1948年に発足したNHSは「ヘルスケア」の無料提供ということだけを前提にしており、「ソシアルケア」の方はNHSではカバーされず、中央政府からおりる予算を使って地方自治体が提供するサービスであると規定されていたからです。1948年のころはそれでもよかったのですが、国民の寿命が圧倒的に伸びた現在では認知症とか高齢者介護のようなソシアルケアを必要とする高齢者の数が増えた現在では国民的なニーズに合致していないというわけです。今回の報告書の責任者である経済学者のケイト・バーカー(Kate Barker)は

ソシアルケアにはもっと資金が向けられる必要がある。人口動態の変化を見れば、これからの20年間でソシアルケアを必要とする人の数が大きく増えることは明らかではないか。

Social care needs to be much more generously funded. Population projections indicate that the numbers needing social care are likely to rise significantly for at least the next 20 years.

と書いている。病院で治療を受けるとタダなのにケアホームで介護されると有料という制度ではもたないと言っている。

「認知症税」の不合理

一方、9月10日付のBBCのサイトに

認知症患者は不公平なケア税に直面している

Dementia patients ‘face unfair care tax’

という記事が出ています。

英国アルツハイマー協会(Alzheimer’s Society)がこのほど発表した報告書(Dementia UK: The Second Edition)に関する記事で、King’s Fundによる報告書とは別なのですが、全く同じようなことを訴えているように思えます。それによると、現在英国内に約80万人いると言われる認知症患者のケアコストの総額は一年間で263億ポンド、一人あたりのコストに直すと約3万2000ポンドになる。このうち国民健康制度(NHS)や地方自治体からの補助金などが約1万ポンドだから、残りの約2万2000ポンドは患者が自己負担で私的なサービス機関を利用したり、家族らによる無給ケアに頼っている。これがガンや心臓病のような病気の場合は、治療費は全額NHSが負担するので患者負担はゼロになる。アルツハイマー協会では、認知症患者とその家族らが不当な差別にあっており、これを「認知症税」(dementia tax)と呼んでいます。

BBCの福祉担当記者のニック・トリグル(Nick Triggle)が伝える「なんのためのNHSか?」(What is the NHS there for?)という記事によると、1948年にNHSができた当座は、主に国民を伝染病から守ることが目的とされた。いま英国人も長生きをするようになってNHSは、完全に治癒することがない長期的な疾病(認知症もこれにあたる)を患者自身が管理(manage)するのを助けるためにも使われるようになっている。現在この種の病を抱える患者はイングランドだけで1500万人と推定されているのですが、今でさえもイングランドに割り当てられたNHSの全予算(約965億ポンド)の7割がこのような患者のために使われており、かなりきつい状況にある。そしてこの予算がこれから増額されるとは考えにくい。

そのような状況下で、認知症のような長期的疾病の患者の多くが、「ソシアルケアが必要な患者」と認定される。ソシアルケアの金銭負担はNHSではなく地方自治体が担う。ただこれも予算に限りがあり、「必要に応じて」(means-tested)支給される制度であり、実際には「本当に困っている人たち」(those with the most severe needs)でないとお金がもらえない。

現在地方自治体からの補助を受けているのは100万人いるのですが、これを受けられない患者(認知症患者の3分の2がこれにあたる)にとっては選択肢は、

  • ケアを受けないで我慢する:go without care
  • お金を払ってケアを受ける:pay for it
  • 家族や友人が無給でケアをする:rely on family and friends to step in

のどれかしかない。

人間、若いときに働いて、給料の中からNHSの費用を払い続けるのに、年を取って認知症になると再びケアのための費用を自己負担しなければならない・・・アンフェアだというわけです。アルツハイマー協会では、現在のNHS制度にある医療が関係する「ヘルスケア」とそれが絡まない「ソシアルケア」の人為的分類によって認知症患者が不当に扱われているとして、その分類の撤廃を要求しています。

2014年9月24日 up date

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