NPO法人 アジア情報フォーラム

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国際問題コラム「世界の鼓動」

江戸仕草

古庄 幸一(理事)

世界の船乗りに、「出船優先」という文化がある。例えば艦隊司令官が乗艦している艦の入港時刻と、一艦長が指揮する艦の出港時刻が重なった場合でも、一艦長が指揮する艦の出港が優先され、艦隊司令官乗艦の艦は港外で出港する艦を待つことになる。出港する艦はこれから任務に就くことを意味していて、任務優先の教えでもあり自然で合理的な行動と言える。

JRや地下鉄の駅をはじめ、多くの公共場所のトイレは出入口が何故か狭い。大人が二人並んでは通れない程で、ましてや荷物を持っていると気を遣う。用を済ませた人と、これから用足しに入ろうとする人が入口で鉢合わせした場合どう対応するか。筆者は「出船優先」の教え通り、用足しに入ろうとした時には出てくる相手に「どうぞ」と譲る。また自分が用を済ませて出ようとしている場合は「お先に失礼します」と断って先に出る。無理に入ってこようとする人には一言「出船優先です」と言う場合もある。これは考えなくても船乗りの慣性として自然に体が動く。

古来わが国では、お互いは「恕の心」を持つこと、即ち他人を思いやる心遣いと、細かな心配りで譲り合い、労る心を持つことが大事と教えられてきた。決して金のかかる話しではない。東京オリンピック招致で表に出た、「おもてなし」の心にも通ずるものがあり、これらの譲り合いの教えは、「江戸仕草」とも言われる、色々な日本的諸作に表現されている。子供の頃、田舎では狭い農道ですれ違う時、「どうですか」と挨拶を交わしながらお互いに内側の肩を少し後ろに引き、体を斜めにして譲り合う、いわゆる「肩引き」をした。また、雨の日。傘を差している者同士がすれ違う時は、「傘かしげ」をしてお互いを思いやり譲り合ったものだ。しかし高度経済成長とともに、都会への一極集中型社会へと変わり、家族が核家族化し、近頃はこの「恕の心」のない光景に出合うことが多い。隣のどこかの国の様に、自分さえ良ければ自分の為なら、他人にどんな迷惑を掛けているかさえ気にならない若者が増えている。

通勤途中の歩道で高校生とすれ違う。高校生は二、三人が横になり話しながら進んでくる。筆者は「七・三の道」をとり「どうぞ」という気持ちで内側の肩を少し引く。高校生は我がもの顔でそのまま進んでくる。電車に乗り込んでみたら一人分の席が空いている。「すみません」と言って座ろうとするが、隣りの若い女性はスマホに夢中で「こぶし腰浮かせ」をして詰めようという気遣いはない。昔なら「姉さん、ちょこっと詰めちゃらんね」と方言でも使って注意をしていたが、今は不機嫌な顔をされるのが辛くて注意もしない。しかし多くの若者が駅のホームでも、交差点の中でも、歩きながら携帯電話を見て周囲には気配りをしない無縁社会と言われる今日でも、このままでは良くない。やはり一番は人と人との人間関係、関わり方を取り戻す社会にすることだろうと思い直す。知らない人とは挨拶もしてはいけないと教えるのではなく、気軽に挨拶を交わすことが一番だろう。家でも仕事場でも先ずは「おはよう」「こんにちは」と自ら声を掛けるように心掛けている。

東日本大震災の避難所では、水や食糧を配る時に、多くの思い遣り美談が聞けた。子供やお年寄りを先にして、自分は後でいいとか、並んで待っている人が先を競い列を乱したりすることはなかったと。外国では我先にと強い者が前に出たり、スーパーの物品は強奪される等々と比較され、日本人の思い遣りの心は、世界中の人から称賛され素晴らしいと報道された。これらの日本人の心を取り戻さなければと思うのは私一人ではあるまい。「江戸仕草」をもう一度だ。

まだ今からでも遅くない。日常にさりげなく行われていた「江戸仕草」を次の世代に正しく申し次ぐことが出来るのは、諸悪の根源の如く言われる我々団塊の世代だろう。学校の先生が教諭という名の労働者ではなく、聖職と言われた時代に教育を受けた我々の責任でもある。先ず家庭で、子供と孫達に、言っても効かないからと黙って見逃すのではなく、「江戸仕草」に通ずる日本人の心を繰り返し繰り返し教えることが一番の近道と信じて。

「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり(上杉鷹山)」

(平成26年5月21日)

2014年6月23日 up date

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